崩れる通信

「崩れる本棚」創作コンテンツ用のブログです。

崩れる通信 No.6

正直に言おう。多忙だ。編集長です。

さまざまな企画を操舵しながら(転覆させながら)、ここに『崩通6号』を送る。

第一作、「崩れるリレー小説 第5回」。担い手は、そにっくなーす

いわゆる、エンターテイメントの鉄則「一点集中型」に近づきつつあった物語を、見事に再拡散させて見せた、渾身の一撃。

あなたは幻惑されることだろう。

第二作目、「精神科ナースが命を狙われた話」連載二回、書き手はまたまたそにっくなーす

生きるとは。いや、「自己の内部と闘う生」の苦しみから「自己から見える世界と闘う生」の苦しみへの移行を、中井久夫を援用しながら、その理解され難さを実感として描く。僕とこの人が声を揃えて言うのだけど、中井久夫は読んだ方がいいよ、ホントに。

第三作目、久々の登場となった、ウサギノヴィッチ頭取の戯曲「6 minutes ago」。

崩れる本棚本誌「No.2」掲載、「ワンチャン」内の、小説中劇(?)が実体化してます!

じゃあ、これは誰が書いたんだ……?

以上。読んで書け、読んで書け、そこからしか始まらないのだ!

……忘れてた。今回から、次回予告をします。

次回は、「リレー小説」、高橋己詩「映画を読むあれ」、徳永みさ「フランティックアレルヤ」、秋月千津子「文具語り」の四本です。

来週も、見てくれよな!

崩れるリレー小説(仮)

第5回

そにっくなーす

「君の父親を殺す手伝いをしてくれないか?」

僕側に柄を向けられたメスのようなナイフが、きらっと光った。刃先が光ったというより、これはサイリウムを主成分としたナイフであり、僕がよく敦子と行っていた新井商店に売っていたものだ。視線を「切り裂きジャック」に映すと、さっき一瞬敦子のものかと勘違いしたほどの豊満なバストが目に入る。

女体を愛する者であれば避けることのできない誘惑が僕をぼんやりさせた。

いっぽう、当の「切り裂きジャック」は光る刃先を見つめながら、ジャックのお面をいつも作ってくれている職人の但馬さんのことを考えていた。昼の顔は新井商店という駄菓子屋のイケメン店員。でもそれだけでは食っていけないので、ときどき犯罪者の指紋を消してあげたり、美容整形外科から違法に譲り受けた皮膚や脂肪組織を使ってリアルなお面やぐにょぐにょののっぺらぼう面をつくってあげたりしている。無法者は得てしてお金持ちなので、結構遊んで暮らしていけるくらいの収入を得ていた。但馬さんのいちばんの上花客は切り裂きジャックである。犯行スタイル上たくさんの仮面を必要とするからだ。

但馬さんが切り裂きジャックに協力するのは、カネのためばかりではない。新井商店は縁日用品や玩具や駄菓子を扱う専門店であり、大正四年に埼玉の川越で創業し、現在地に移転してからも潰れず続いている昔ながらの名店である。

昭和三〇年末ごろまでは駄菓子屋なんかそこらじゅうにあって、子供たちの社交場として活気にあふれていた。しかし昭和三九年の東京オリンピックを境に日本の高度経済成長が始まり、物価高騰、便利な世の中の始まり、少ないお小遣いでささやかに楽しめるのがいちばんのウリであった駄菓子屋はどんどん減っていった。

但馬さんは自分の家が駄菓子屋であることに誇りを持っていたため、この変化に激しいショックを受けた。だんだん少なくなっていくおやじの髪、だんだんちいさくなっていくおふくろの背中。そして、駄菓子屋なんてダサイ、ゲームしようぜ、と誘惑してくる同級生や、ハローマックなど大手玩具業界の台頭。苦しい生活の中、家族はいつもバラバラで喧嘩ばかりだった。

ある日ド派手な服装の訪問客を突然父が怒鳴りつけたことがあった。

「クソ野郎が!てめえが、東京オリンピックをやるとハッピーになれるよ!ってお上に吹聴するから!日本は変わっちまったんだ!」

玄関先で罵声を浴びていたのは天馬榛木その人だった。

「あいつの占いのせいでうちの駄菓子屋はあぶなくなったんだ。高度経済成長なんて、なければよかった。便利さの陰でたくさんのものを失ってきたじゃあないか。何でもかんでも電気で片づけようとしやがって。

最近なんかさ、若い奴らときたら、指先でぽちぽちやれば送れる手紙の返事がめんどくさい、もしくはすぐに返事がこないとしんどい、手元をつねになにかしらいじってて、つねにたくさんの誰かしらと顔も合わせずつながっていたいみたいじゃんか。我慢もできず、どんどん新しくて刺激的なものにばかり惹きつけられる。ものを大切にするということをしない。高度経済成長は、結局インスタントなものでできたインスタントな人間を大量生産し、結局その人間たちそのものをもインスタントなものに成り果てさせただけじゃないか!こんな小さな島国でアメリカさんのモノマネなんかするもんじゃないんだよ。」但馬は、切り裂きジャックと初めて会った立ち飲み屋でこう言ってさめざめと泣いた。

敦子はほっぺの吹き出物スイッチを押すと変身するスーパー女になる夢を見て目覚めた。敦子が眠っている間に連れて行かれたのはポンチヌという島。ケルアック原作の某映画の主演俳優が所有している。電話が唯一の娯楽である。ペヨーテ(サボテンの一種)が名産であり伝統はまだひっそりとつづいているが、ポンチヌペヨーテは現在、王族しか手に入れることができないことになっている。

敦子がポンチヌにいるなんて知りもしない僕だが、物心ついてからはじめての家族旅行がポンチヌだった。

それまで友達の家族旅行話や田舎へ帰った話を聞かされまくってようやく自分が自慢できる番だったのがうれしくて、休み明けの朝の会で挙手をしてみんなにポンチヌ旅行の話をしようとした。でも小学生であるクラスメイトも、スイーツ女子あがりの担任教師も、ポンチヌなどというコアな地名は知らなかった。

インターネッツもなかった当時、秘境民族の通過儀礼に使用する幻覚物質としてごく一部に知られるのみであったポンチヌペヨーテだが、この家族旅行のときに天馬が王家の人とフレンドになりペヨーテの魅力にどっぷり、はまってしまった。占いの際に催眠を助ける用として自分と客のテンションあげのために大量に買い占め、さらに業界でも『天馬が見つけた人生成功の秘薬』として雑誌の後ろの方の、『このブレスレットをつけてから億万長者に?!』『二〇代を過ぎたのにこれを飲んで背が伸びた!』『おちんちんに自信を!包茎手術は神奈川クリニック…プライバシー完全遵守!』『友達にも遊んでるんでしょって言われて…乳首が黒いの、ずっと悩んでたんですが、これを塗ったらドンドン薄くなりました』とかの広告と並んで紹介され、ポンチヌペヨーテ産業は追いつかなくなってきた。ポンチヌ労働者は過労によりつぎつぎとたおれ、年端もいかぬちいさな子供たちが強制的に働かせられたり、ガンジャ眠剤と混ぜられたバッタもんが大量に出回ることで市場価値をどんどん落とし、金に目のくらんだ地元農家と企業との内乱がおこり、いったんは絶滅した。

ポンチヌ島で天馬榛木の名前を出すと、皆皆一様に、歯をむき出しにしてオランウータンの威嚇ポーズをするという。それぐらい天馬榛木はポンチヌのひとびとから恨まれているのだ。

敦子は僕がポンチヌに行った時の話をおぼえているだろうか。たぶん覚えちゃいないだろう。僕は刃先に視線を戻した。

酔っ払いバタフライ

そにっくなーす率いる「酔っ払いバタフライ」2014年5月の文学フリマ東京から活動開始。看護師のほかに、バンドマンやら料理のうまいハリネズミやら乙女男子やらセンスいいたぬきやら天才デザイナーやらが属している。本は下北沢クラリスブックスにて委託販売中。

twitter:@sweetsonicNs

精神科ナースが命を狙われた話

第2回

そにっくなーす

どんなひとにでも、現実に戻らなければならない時期というものがある。シンデレラにとっての午前0時と、精神病者にとっての回復期だ。

精神疾患の症状がいちばんひどいときには、仕事をはじめとしたあらゆる日常生活の行動はなにもできなくなる。統合失調症などでは「頭の中が忙しい」「胸の中が騒がしい」「幻聴が万華鏡みたいに襲ってくる」「○○さん○○さんてひたすら名前を呼んでくる声が聞こえる」などと患者さんは表現する。

自分の頭の中だけでかなり忙しい状態にあると、精神科患者ではない人が普段乗り越えるいろんな日常のタスクや試練などにまで手が回らない。自分の頭と闘うあいだ、世界と対峙するのは一旦おやすみ状態に近くなる。

そんな彼らが、薬や作業療法や医療者などの周囲の手助けによって寛解の状態まで回復し、ああよかったね、退院おめでとう。それから自宅に帰って、眼の前に広がるのは、鍵付き病棟や門限やプライバシ―の侵害のない自由な世界であると同時に、やるべきことが信じられないくらい山積みの、ストレス社会である。

荒れた部屋。持って帰ってきた大量の薬。書類。食事の支度もしなければ。もうご飯は時間で出てくるものではない。布団もほして、洗濯をして、ゴミもださなくちゃ。掃除。ああ、お風呂も入らなくちゃ。これが家族のいる実家であっても自分の居住空間を快適に維持するためにはやらなければならないことがたくさんある。そして、入院生活と違って、気の合わない他患者と暮らさなくてもよい代わりに、抑えようのない孤独感が襲ってくる。部屋のカーテンをちょっと開ければ誰かしら居た環境とは違うのだ。そして、生活を維持するために、仕事をする人もいるであろう。社会と対峙して自分で暮らすというのは、脳内で自分の疾患と対峙するのとはジャンルの違う大変さがある。

精神疾患をもつひとが、症状のいちばんつらいとき=急性期で経験したことも、もちろんその人が体験したことであり「現実」ではないという意味ではない。「現実」という言葉はわかりやすく、ただ便宜的に使用した言葉ととらえていただいて構わない。内向きの世界のほうが手ごたえがあり、外の世界はまるで舞台の書き割りみたいだ、と思わせるような症状をきたすひとも多くいる。

現実の外の世界は体を動かしてやらなければならないめんどうなことに溢れているが、現実の世界のつらさにはメリットがある。それは、仕事であれば報酬が得られること。家事であれば快適な生活をおくれること。そしてなにより、他者と容易に共有して分け合ったりすることができるつらさであるということだ。

頭の中が忙しくってつらい現象は、多くは自らの頭の中をリングとしてひとりで闘うしかないと思わせる。自分を苦しめるこの声は他人には聞こえていないのだ。他の人はこんなこと容易にできるはずなのに、自分はできない。つらいのは自分だけ。などと思い始めるとあっという間にドツボにはまる。幻聴や妄想の症状を人に言うことをいやがる人もよくいるし、幻聴や妄想について、素人である周囲の友人や家族にうちあけても、素人は「この人、わけのわからないことを言いだした」といって怪訝な表情をしたり怖がったり、そういうことを話すこと自体を禁止してくることもある。

これに対して、「現実」、外の世界での大変な仕事は精神疾患があってもなくても経験しておりつらいと思ったり大変さを感じたりすることがある。仕事場で自分だけがつらいと思うのは本当にしんどいが、「みんなつらいんだ」という言葉をいい方に使ってほしい。

みんなでたいへんになってみることは、つらさをマシなものにしてくれる。

普段きちっとやっているように見える健常そうな人間の愚痴をたくさんきいて、そうだよねそうだよね!つらいよねだるいよね!つらいって思ってもいいんだよね!言ってもいいんだよね!と思ってほしい。ひとりでただしんどい時は救いがないと思ってしまいがちになるが、しんどさを自分のものだけにしないようにするとそこに風穴があき、涼しい風が吹いてくるであろう。

しかもだね、他の人が生活や仕事上でのたくさんのつらさや試練やボス戦に興じてレベル上げをしている時に、あなたは一生懸命病気と闘っていた(そして闘いに勝って今ここに居る)わけなんだから、そのブランクを考えると今からうまくできなくたっていいんですよ。最初っからうまくやれる人なんていないから。骨折したと思って、リハビリだと思って、やれること最低限だけやって、自分を褒めて、自信をつけるってことやってほしいんだよね。症状のつらさはときどき波のように変動したり、ちょっと環境が変わったりとかショックな出来事があったりすると崩れがちだけれど、そうしたらまたちょっとの間頭の中でファイトして、落ち着いてきたらまたもとの生活をしようよ。医療者はそういうときのためにいるから。医療者は、あなたがまた外に飛んでいけるようになるためにできることをするから。

ウツになって、何かあるとすぐ足が立たなくなる変な癖みたいなのができて、仕事を休んだりなんだりとかしながら、首の皮一枚でつながりながらなんとかやってきた。今も忙殺されまくってて本当にどうしようとか思っているけれど、思ったことをすぐ言ってみたり愚痴を共有したり悪態をついたりとかして息抜きをまめにするようにしてなんとかやっている。あれだけ温和でデキル人に見えていた同僚やベテランさんが、実はものすごく大変な思いをしてつらさと闘っていたということにも、いつもダルイダルイ言っている先輩が、「ダルイ」をはけぐちにして一生懸命仕事をしていることも、人と愚痴りあって初めて知ったのであった。

同僚たちとつらさを共有して、仕事、という目に見えない対象を敵にしてみんなでグズグズ言って、それで「わたしだけじゃなくてよかった」と思えたことが救いになったのかなと思う。

「精神医療に関わる人間はみんな殺せ。」

医療者だって、何が答えなのかわからないから、何が本当にその人にとって助かることばなのか、わからないから、うまいこと言えないし、医療者と話した直後に自殺未遂した人もいたし、いくら調べても、たくさんの本を読んでも、わからないことだらけなんだ。だから、医療者がよかれと思ってあなたに言ったこと、やったことが、場合によってはあなたの病状を悪化させてしまうこともあるかもしれない。

それでもね、一人よりはマシだから、つらさを分け合わせて。一緒に考えるよ。いま、精神医療に関わる人間を殺したがっていた人がどのような生活をしてどのような治療をうけて、どのようなことを考えているのかはもう知らない。怒りの発射場所としてSNSを選択するということは、慎重で気弱で、さみしがりなんじゃないかなと勝手に想像する。でもそうやって助けを求めていたのかもしれないね。人の見えるところでそうやって言うことによって、自分だけじゃない、つらさを共有したかったのかもしれないね。それであなたが救われるのならそれでもいいかもね。つらいときはミュートさせてね。

こうも世の中共有ブームであるが、なんでもかんでも「わかる~」と分かってあげちゃえばよいというものではない。ここからは、周囲に精神疾患をもつ人がいる、という人に宛てたい。

精神疾患を持つ人は、経験したことのない人には「わかる~」とは決して言えないような現象が起こっている。それを打ち明けた時、他人に「わかる」と言われてしまうと病状が悪化する場合がある。疾患別にみていこう。

ADHD注意欠陥多動性障害)―小さい頃から指摘されてきた自分の過集中や落ち着かなさといった行動に対して「わかる、あるある」とか言われてしまうと、「え、わかるの?!周りの普通の人にも同じことがあるのか!そしたら私だって周りの人みたいに普通にやれるはずなのに、なんで自分にはできないのだろう?」と悩み、症状が悪化する。

・うつ―根底に、つらさとふたりきりになって心を閉ざしている面があると、あんたになんかわかってたまるかよ、みたいな思いになり余計心を閉ざす。大切なことも打ち明けにくくなってしまう。

統合失調症―自分と他人の境目がわからないおそろしさに深淵を覗いてしまっている状態で、症状について「わかるよ」とか言われると、なんでわかるの?!やっぱり私の考えは頭から流れだしちゃって他人に伝わってるんだ!となる

「わかる~」という言葉の及ぼす影響については史群アル仙の漫画と中井久夫先生の本を参考にした。「がんばって」「なまけてるだけでしょ」「そんなのあるわけないでしょ」の他に「わかるわかる」までもが禁句として登場し、困難さがきわまりないのだが、そばにいる人はうんうん、そっか、って頷くだけでもいい。別にしゃべらなくてもいい。経験したことない人がサッと思いつくようなアドバイス、もうすでにやりつくされていることだったり役に立たないことのほうが多いし。ただ一緒にいるだけでいいことってたくさんありますから。

6 minutes ago

第1回

ウサギノヴィッチ

第0場

客席にはお客さんがもちろんいる。

舞台の前にお客さんの誘導をするスタッフの男がいる。

「いらっしゃいませ」とか、「こちらが空いてます」とか、

言って案内している。

時々、時計を見ながら時間のことを気にしている。

そして、開演の5分前になる。

スタッフの男  「劇団から三つほど、お願いがあります。一つ目は携帯電話、時計のアラーム等音の出るものは電源をお切りくださいますようお願いします。そして、劇場内での飲食や喫煙はロビーにてお願いします。これが二つ目のお願いです。最後になりますが、本公演の上演時間は九十分程度を予定しております。途中休憩はございません。ですので、お手洗いなどは上演前までにお願いします。それでは、開演までもう少しお待ちください」

よどみなくいい終わると、また、場内の整理の仕事に戻る。

「いらっしゃいませ」と言ってスタッフとして馴染んでいる。

それでも、時々時計を気にしている。

しばらく、それの繰り返し。

そうしているうちに、開演時間になる。

スタッフの男はなにかの合図に気づいて、舞台上に上がる。

スタッフの男  「すいません。これから『6 minutes ago』というお芝居を始めたいと思うんですが、みなさん気づきましたか? 開演時間が七時〇六分になっているのを。知ってたっていう人、手を挙げてもらえますか? はぁ、三分の一くらいの人はわかっていたんですね。他の人は、ちゃんとチラシ見ました? 癖で七時に始まるだろうとか思って来ちゃった人もいるんじゃないんですかねぇ。まぁ、とにかくこれからお芝居が始まるんですよ。お前、さっき注意事項言ってたただのスタッフじゃなかったのか? と疑問を持っている人もいるかもしれませんね。知っている人がいるかもしれませんが、僕は役者です。ちょっとトリッキーなことが多くて混乱してるかもしれないですけど、要するにこれからみなさんの観に来たお芝居が始まるってことです。そして、そうそう、一つ重要なことを言うのを忘れていました。このお芝居はタイトルの通り、六分前に始まって、六分前に終わります。その六分で不都合なことが起こりますが、それはすべて演出ですので、その点は了承していただきたいです。

それでは、始めたいと思います。照明さん、客電を消してください。

渋谷のスクランブル交差点にあるスターバックスで小笠原亜樹と会う六分前から始まります」

照明が徐々に暗くなり暗転する。

第1場

スクリーンに

『8月28日 午後12時54分 @渋谷』

と表示される。

明転すると舞台の下手に椅子に座った小笠原亜樹がいる。

スターバックスのコーヒーを飲みながら、

スマホをいじっている。

上手から紀田仁志が走ってくる。

改札にSuicaをタッチするが、引っかかる。

2、3回繰り返したら改札が開く。

紀田がスマホを取り出す。

『先にスタバに入ってます』

スクリーンにLINEの形式で表示される。

紀田がスタバに入る。

それに気づく亜樹。手を挙げる。

紀田  「やあ。待たせたね」

小笠原 「いや、待ってないですよ。全然、大丈夫です」

紀田  「それなら、いいんだけど。で、話ってなに?」

小笠原 「あのですね、彼氏から連絡が返って来ないんです」

紀田  「彼氏? あぁ、久遠寺ね」

小笠原 「3日間、返事が無いんです」

紀田  「そうなんだ。忙しいとかじゃなくて?」

小笠原 「いや、そうじゃないと思います」

紀田  「そうなんだ、僕のところにも連絡は来てないよ」

小笠原 「そうですか」

紀田  「えっ? 相談ってこれ?」

小笠原 「そうです。でも、心配なんです。久兵が連絡を3日間返って来ないなんてないんです」

紀田  「僕はなんにも知らないよ。多田なら、なんか知ってるんじゃない? あいつ久兵の家、近いし」

小笠原 「多田さんは……」

紀田  「付き合ってるってことを知らないの?」

小笠原 「そうです」

紀田  「だから、僕に相談していたのね」

小笠原 「そうです。なにか知りませんか?」

紀田  「知っていたら、今すぐに君に話しているさ。でも、今の僕は力になれないよ」

小笠原 「そうですか……」

紀田  「それよりさ、まだここにいる?」

小笠原 「あっ、はい」

紀田  「コーヒー買ってくるわ」

第1場 続く

Pさんぽ

第8回

Pさん

「イオン まいばすけっと」は、現在急展開中の都市型小型食品スーパーマーケットである。何が「都市型」なのかは知らない。ウィキペディアの「まいばすけっと」の項を覗けば、その正体があらかた判明することだろう。ウィキペディア宅を覗く際、注意しなければいけないのが父親の目だ。「まいばすけっと」の情報の他に、齢19のうら若い短大生の女性の着替え姿に、ごくまれに、数値にして25%ほどの確率で遭遇するのであるが、これまた稀に、数値にして77%の確率で、居間に父親も鎮座していてこちらがうっかり、あくまでうっかりを強調し、目に入っていたとしてもそれが見つかれば半殺しにされる。文字通りの50%殺しである。多くの臓器と片方の眼球を機能不全にされた。腎臓など、右側だけが破裂であった。次に目撃を目撃された際は、驚くことに、累計75%殺された。

時間帯に注意。16:30から17:00の間である。より詳細に叙述するならば、16:45を中心として正規分布の曲線を描く。取れ高の最も効率のよい時間帯が前述の時間帯なのである。37歳の父親は盛りを過ぎたとはいえ、半生を自己の筋繊維を見つめることだけに費やしてきた。愛用のポージングオイルはプロタン社の「マッスルジュース」である。元が色黒であるのでカラーオイルは邪道だと考えている。私の左目が最後の視覚において捉えた彼の表情は、むしろ笑顔だった、まるでこれから開催する長い長い私刑を全身でよろこんでいるかのようであった。小型犬なら半分のサイズに圧縮されるほどのスピードと力で両の拳を打ち合いつつこちらに近づいてきたのであるが、骨折ひとつしていないのが奇跡のように思えた。「イオン まいばすけっと」は、現在急展開中の都市型小型食品スーパーマーケットである。(続く)