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崩れる通信

「崩れる本棚」創作コンテンツ用のブログです。

崩れる通信 No.7

ああ、……なるかな。素晴らしい毎日を過ごせることに、日々感謝を忘れません。日々が輝いていることに、毎日違いはありません。そのことに理由はありません。編集長です。

今回は、編集長の手違い(すっぽかし)により、リレー小説はお休みです!

次回書き手募集中です!

一作目、高橋己詩の高橋己詩による映画評、「映画を読むあれ」。みなさん、「読む」という動詞に気が付かれましたでしょうか?

そこに意味がないはずがない。第二回。フィクションの、リアリティとリアルについて抉る。

二作目、おなじみ、秋月千津子さんの「文具語り」。第3回を独走中。手帳にかんする「語り」です。ナラティブ。もう手帳について気を揉まなければならない時節とは、胃の動きを隠せないですね。

手帳は今の仕事を始めた時に買って、余白にはじめての夜勤の時のメモを書きちらし、そのまま使わなかった。

時間など消えてしまえ。毎日そう思っているので、手帳を持つことに抵抗があります。

それと最後に、最後のやつ。

本日も、お越し頂き、ありがとうございました。以下本文。続く。

映画を読むあれ

第2回 『オープン・ウォーター

高橋己詩

リアルとリアリティはまったくの別物である。フィクションとノンフィクションのように別物である。ペルジオン惑星と喉飴のように別物である。

たとえば、奇跡的な偶然によって起きた事実をそのまま映画や小説へ変換した場合、当然ながらその作品が持つストーリーラインはリアル(現実)である。しかし、そのストーリーラインが稀有で特異であるほどにリアリティ(現実味)は薄れてしまうことにも繋がる。これは良からぬ状態だ。いくら面白みのあるリアルを積み重ねても、それだけでは現実味、現実っぽさが欠けてしまい、説得力が伴わない。結果としてリアルと判断されないという弊害さえもある。

こうした結果を防ぐために、リアリティは必要不可欠である。登場人物の実存感、ストーリー序盤の正常観、情景の普遍性。こうしたところにリアリティを敷くことで、リアルをよりリアルと思わせることができるのだ。

ツアーの一行としてスキューバダイビングを楽しんでいる夫婦が、運営陣の手違いによって置いてけぼりにされ、サメの生息する海域を孤独に漂流する。2003 年の映画『オープン・ウォーター』は、実際に起きた事件を基にした、いわゆる海洋パニック映画である。

まず一つ、前提として断っておきたいことがある。この映画に登場する夫婦の視点においては、一体どこまでが事実なのか。それを確認する術はないため、結局は事件という大枠だけを利用したフィクションと捉えるのが妥当であろう、ということ。やはりリアルであることには間違いない事件であり、現実的に起こり得ることだとは思えるのだが、この出来事そのものを手放しでリアリティであると納得しておくわけにはいかない。

ここから本題へと直結するのだが、実は私はこの映画を、ある別の観点からは『超』リアリティ映画であると結論付けている。

では、それはどの部分か。この映画の主役である夫婦の、立場が逆転する模様である。特段私は、「男とは、女とは」とある種の哲学的思考を巡らせているわけではない。気の効いた解答を出すことなんてできやしない。ただ、この男女間の関係性が変化していく様子にはリアリティを感じざるを得なかった。

他のツアー客たちの姿が見えない。どうやら自分たちは漂流しているようだ。そう気がつくと間もなく、まずは妻が不安を口にし、「あぁ、怖い。おぉ、怖い」と弱音を吐き始める。対する夫は「大丈夫だよぉ、大丈夫だよぉ、助かるよぉ、いずれ笑い話になるよぉ」なんてさも当たり前のように言い、頼もしい存在でいてくれる。妻もその応対に縋る。ところが漂流する時間が長くなり、疲労が溜まるにつれ、夫の方で抱える不安が急激に増す。これまで必死に抑えこんできたものだから尚のこと。いっそのこと叫んで思い切り発散してやろうと「なんでこんな目に遭わなけりゃならねぇんだ!」なんて喚き散らすのだが、そんなときに限って妻は明らかに冷めた目で見ている。というか、夫を見ようともしなくなっている。

そう、この感じ。

男の優しさの本末転倒っぷりがもはや滑稽。でもこの気恥ずかしいほどの既視感。そしてこの展開を代表とし、随所に表現されている女の切り替えっぷり。痛々しいほどの既視感。何と言うべきか、「男あるある」「女あるある」を無駄なくまとめたかのような台詞回しに、まさしくリアリティが詰まっていると感じた。この要素をもっと売りにしてもいいのではないだろうかと思えるほど。

映像的な部分に言及するとしたら、突如映り込むサメの背びれがパニック映画としての盛り立て役として目立っている、というところだろうか。一兆回も見せられたような映像ではあるが、BGMによる過剰な演出もなく、「今なんか見ちゃった感」というのが瞬間的に訪れるので、これまでの一兆回よりも格段と恐怖をより強く感じさせてくれるのは間違いない。

とはいえ、そんなパニック映画らしさや、事実を基にしているが故の教訓なんてものは抜きにして、全編に散りばめられたリアリティを第一に味わっていただきたい。そういう意味ではこの映画、ヒューマンドラマにジャンル分けをしておいてもいいのではないだろうか。

そう思う。

高橋己詩

講談社 birth で生まれた小説家。現在は無料頒布の猛獣。

文具語り

第3回 手帳

秋月千津子

9月が終わろうとしている。今年もあと3ヶ月ということで、そろそろこのエッセイでも手帳について書こうと思う。

手帳は大きく分けると3つの種類がある。カレンダーのように1か月分の予定を管理するマンスリータイプと、1週間ごとの予定を管理するウィークリータイプ、1日1ページのデイリータイプだ。

手帳を持つ習慣のない人にはまずはマンスリーの手帳を使ってみることをおすすめしたい。日々の予定を手帳に書き込む癖がないと、ウィークリーやデイリーの手帳を持っても書き込むことが見つからない、ということになりかねない。マンスリーの手帳は薄くて軽いので持ち歩きにも便利だろう。B6~B5くらいの大きめのサイズだと、一日当たりの書き込みスペースも大きくて使いやすい。今は100円均一でも可愛いものが手に入るが、一年間使うことを考えると質の良い紙を使っている手帳を選びたいところだ。コクヨが出しているキャンパスダイアリーはおなじみのノートをそのまま手帳にしたデザインで、書きやすい。ノートメーカーが出している手帳といえば、ツバメノートが出している手帳も忘れてはならない。ノートに使われているツバメ中性紙フールスが使用されており、万年筆との相性も良い。

手帳に慣れている人、それから日々のタスクが多い人にはウィークリータイプの手帳がおすすめだ。ウィークリーの手帳の多くはレフト式という、左ページに一週間の予定が書き込めるようになっていて、右ページはメモなどが取れるよう空欄になっているタイプだ。様々なデザインの中から手帳を選びたいと思ったら、このレフト式の手帳を使うのが良いだろう。毎日の予定をたくさん書き込みたい・時間ごとに管理したいという人にはバーチカル式の手帳がおすすめだ。見開きで一週間分の予定が書き込めるようになっているので、レフト式より書き込み欄が広く取られている。便利なのだが、バーチカル式は元々発売されている手帳の種類が少ないことに加え、土日部分が平日に比べて小さく作られているものが多く、平日に休みを取るような仕事の人の場合には少々使いづらい。土日も大きく取られているタイプもあるにはあるが、限られている。

手帳は手放せないという人や、毎日の日記や記録を残したいという人にはデイリータイプがおすすめだ。このタイプは選べるほどたくさんの種類が作られていないというのが実情だ。最も有名なのはほぼ日手帳だろうか。毎年多彩なデザインのカバーが発売されており、限定のものなどはすぐに売り切れてしまう。A6(文庫)サイズとA5サイズが作られているが、A5はさすがに重たくて持ち歩くのは大変な印象だ。半年分×2冊の分冊バージョンも作られているので、大きい手帳を好む人にはこちらをおすすめしたい。マークスのエディットはシンプルを極めたデイリー手帳だ。時間軸以外には余計なことが何も書かれていないため、日記などを書き込みたい人、何かを貼りつけたりして使いたい人にはぴったりの手帳だろう。

創作をする人、それからタスクをたくさん抱えているという人には、メインの手帳とは別にもう一冊、ガントチャート式の手帳を持つことをおすすめしたい。見開きで一ヶ月、日付が横に並んでいて、プロジェクトごとの予定や進捗が書き込めるようになっている。複数の予定について俯瞰して見ることができるので、長期的な予定についても無理なくスケジュールを立てることができるだろう。

手帳は単にスケジュールを管理するためのアイテムではなく、一年間持ち歩く相棒だ。機能面だけではなく、見た目にもこだわりたいという人も多いだろう。能率手帳高橋書店など手帳メーカーの物の場合、機能面は充実しているが、見た目はいまいち地味…ということも多い。そんな時はカバーは外してしまい、好みのブックカバーやノートカバーで自分の気持ちが上がる手帳を作り上げると良いだろう。また、ほぼ日手帳やペーパーブランクスの手帳のように、見た目にこだわって作られている手帳も多い。毎日持ち歩きたいと思えるような手帳、という観点で選ぶのも楽しいと思う。

そろそろ店頭にも来年の手帳が少しずつ並び始めている。個性ある手帳たちをじっくりと比べてもらい、是非一年を共に歩くにふさわしい一冊を見つけてほしい。

【今回紹介した手帳】

コクヨ キャンパスダイアリー http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/campusdiary/

ツバメノートの手帳 http://appleribbon-shop.co.jp/products/list.php?category_id=2

ほぼ日手帳 http://www.1101.com/store/techo/

マークス エディット http://www.marks.jp/product/edit.html

ガントチャートダイアリー http://www.apj-online.com/shopbrand/ct2429/

ペーパーブランクスの手帳 http://www.paperblanks-online.jp/products/list.php?category_id=9

秋月千津子

個人サークル「深海の記憶」で活動中のインディーズ小説家。

Twitter:@akizuki_chizuko

【イベント参加予定】

10/10 第2回テキストレボリューションズ

11/23 文学フリマ東京

Pさんぽ

第9回

Pさん

近年、といってもPさんの視野においてはここ五年間はかるく近年なのであるが、「イオン まいばすけっと」参加の店舗が、近所で急増した。同じ駅の出口の周りに三店舗並んでいるのを見るにつけ、ちょっとやりすぎなのではないか、と思うようになった。ここから社長の豪遊エピソードに滑り落ちることもできる。マーライオンの口から湯の出る湯船。しかし、そうしないだけの理性を備えている。二週連続でステロタイプな人間を出すわけにはいかない。

XO街道に、「K整形外科」の前の通りが衝突しT字路を形成しているその周辺に、既に二店舗。そこを左に逸れ、「麺屋I」の手前に、さらに一つ。それぞれ100メートルと離れていない。取扱品目も、チェーンが同じであるのでほとんど変わらない。逆に微妙な差異が探し出せるほどだ。なぜ「XO街道手前店」はバナナを扱わないのか? 何か理由があるのか? なぜ「カップヌードル」が「XO街道奥側店」には置いていないのか? 私はカップヌードルは嫌いだから、関係ない話なのであるが。カップヌードルにはかなりの確率で乾燥エビが混入している。しかし、いざっていう場合が有り得る。主食をカップヌードル以外受け付けない近隣に住む老婆が、大腿頸部骨折をやらかして歩行困難になった。もう二日も何も食べていなかった。米なら山ほど家に置いてあるのだが。カップヌードルしか口にすることが出来ない。これが老人の孤独死というやつか。様々な臭いが戸を開けたときに外に流れ込んできて、顔をしかめる。砂利の掃かれていない上がり框に、サンダルが投げ捨てられたように置いてある。ここで転倒して骨折したのであろう。傍観してはいられない。すぐにカップヌードルを購入せねば。そんなとき。

カップヌードルは「イオン まいばすけっと」に限らずともその近くにある各種コンビニを二、三件も回れば、絶対に見つかるのだから、そのおばさんは孤独死を避けられるだろう。たとえ救出されたとて、その後しかるべき扶助を受けられるのかどうかは、預かり知らないが。(続く)