崩れる通信

「崩れる本棚」創作コンテンツ用のブログです。

崩れる通信 No.8

一作目は、落山羊さんの『えいえんの少女と小説』第二回。

二作目は、紗那教授の『莉子と亜紀の自動車いろは』、第二回。

三作目は、Pさんの『Pさんぽ』。

以上、お楽しみに。

……え、なんでいつもより前書きが短いのかって?

それは、この前書きを書いているのが更新10分前で、書いているうちにもう5分前になっていて、一文字進めるごとに時間が進んでいるのが如実に感じ取られて焦っているから、では決してありません、編集の人はそんなに無計画ではないはず、でしょう。

……更新が一日遅れてしまって、申し訳ありませんでした。

えいえんの少女と小説

第二回

落山羊

青春、ということばの、あんまり露骨な攻撃力にわたしは、まだまだ傷つくところのある年齢なのですが、それを物語のなかで目の当たりにするとき、とりわけ、現実が舞台の現実離れした物語のなかで目の当たりにするときは、そのセンチメンタルなひびきにうっとりしてしまうのです。

自分にはなかったなあとかね。だって制服がおっそろしく似合わなくて。毎日ギラギラしていました。せんせいにこわがられる生徒でした。成績もすこぶる悪かった。浮いていたし、友だちはあんまりいませんでした。でも、楽しいこともあったかなあ、きっと。みなさんはどんな青春を過ごしたのでしょう。

さて、初回の作品が少々古かったので、第2回はわりあい新しい作品を持ってきてみました。偶然にも、レーベルは前回と同じ講談社X文庫ホワイトハートなのですが、そのホワイトハートの新人賞受賞作なのです。

桃華舞『アリス イン サスペンス』です。

いろいろな点でめずらしい作品で、これは少女小説ではない、と言われることもあるようす。理由はおそらく、複数の少年たちが主人公であることと、メタで軽妙すぎる一人称(ついでにちょくちょく下品)のせいであろうと思われます。

今回の「理想の少女」はとってもスタンダード、主人公ヒツジコはじめとする少年たちのグループに突然入りこむお姫さま・アリスです。

つまり、少年たちにとっての理想の少女なのです。

田舎ではいちばんの美人で、女優志望のアリスは、首都に近いシークレット・ガーデンへと幼なじみを頼って家出。都会に来たらアリスは所詮大多数のうちのひとりでしかありません。けれど、「夢を持つ」ということそれ自体に対して、少年たち――孤児のヒツジコ、おでん屋の女装少年ユキノジョウ、感情のあるアンドロイドのハイド、幼なじみで医者の卵のジャック――はそれぞれ、深いあこがれを抱いているのでした。

シークレット・ガーデンはスラムのような街で、人殺しもばれやしないし、警察はいない。と主人公ヒツジコは「善良が抜け落ちた選良民。学はないけれど、知るべきことはストリートで叩きこまれた」と語ります。そんな舞台設定のなかで、つまり、少年たちは「夢」なんてものとは対極に位置する劣悪な「現実」の毎日を生きているのでした。

そこに登場するアリスという少女は、純朴で、明るくて、すんごいお馬鹿なのに、

「うーん、そうか。じゃあ、アリスがんばらなくちゃね。こうやって遊ぶの楽しいけど、もう終了! アリスは進みますぞー!」

「アリスがみんなの夢になるの」

なーんてことばで、ほんとうに少年たちの「夢」になります。

タイトル通り、この作品はサスペンスというか、ブラックダリア事件を模した殺人事件の犯人探しにページの大多数が割かれているのですが、そこはさして重要ではない、とあえて切り捨てます。だってアリスが眩しいんだもん。(講談社X文庫ホワイトハートは純粋な少女小説レーベルとも言えないのですが)このアリスは、少女の共感を呼ぶ少女というわけではないところが、少年たちの「理想の少女」たるゆえんでありましょう。

ヒツジコの回想形式で語られる物語のなかで、アリスはほんとうにかわいい。少年たちは、馬鹿で、かわいいといったって特別じゃあなくて、ほんとうは女優になんかなれっこないアリスに、どこかで気がついているんです。でも、もうかたいっぽの麻痺した心で、「アリスの映画が観たい」と本気で思っていた。

アリスの夢が少年たちの夢で、アリス自身も少年たちの夢なんです。

14歳。なんて尊いんだろう。

純粋さと、シークレット・ガーデンの歪みきった価値観の狭間で揺れて、ラストはなかなか胸糞悪いのですが、それもまた青春のひとつの形なんだなあと思わされます。

この『アリス イン サスペンス』の作者・桃華舞は、作品刊行時のインタビューで、こんなことを言っておりました。

Q12 あとがきでご自分の学生時代についても触れていらっしゃいますが、どんな学生時代を過ごしたのですか?

サボってばかりの駄目生徒でした。ルーズはいて制服を着てれば最強だって思っていました。

講談社X文庫ホワイトハートhttp://wh.kodansya.co.jp/topics/suspense_interview.html

うわーっ。すごいほうだ。全力の青春だ。と思ったものです。そう考えたとき、ギラギラしていたわたしも、もしやすごい青春を送っていたのでは? と救われるような、よくわからないような、ヘンテコな気分になります。

最強、って、確かに。

『アリス イン サスペンス』は、完ぺきな作品だから取り上げたわけじゃあないんです。肝心のサスペンス部分はあんまりにも詰めが甘いし、伏線は役を果たすには弱い、このひとの一人称は癖が強すぎて、またメタすぎる点もあって、状況把握がとても難しい。

スラムのようなシークレット・ガーデン、ジャック・ザ・リッパーにブラックダリア、ランドマークや都市伝説、言ってはなんだが青臭い配置。

けれど、ヒツジコもユキノジョウもハイドも、アリスもジャックも、存分に青臭く、生きている。

突然走り出して、大笑いして、ランドマークで踊り狂って、ストリートアートでサプライズして、恋して、夢を追いかけて。

もうそりゃ青春てんこ盛りで、胸いっぱい。そこから起こる事件や、アリスを思う日々を越えて、たどり着くラストは非常にやるせない。

このまだ未熟で、それでも全力で自分のスタイルを示してきたこの桃華舞を、わたしはとっても尊敬しています。インタビューを読んで、彼女の「青春観」のなかでこそ、この作品は作り上げられたんじゃないかなあと思います。

実は二作目以降、彼女の新刊は発表されていません。経過した年月を思えば、このジャンルではもう、お目にかかることはできないかもしれない。新人賞受賞から二作品で、わたしのこころには鮮やかな印象を残してくれた作家でした。いつかどこかでまた、桃華さんの作品が読みたいなあと願っています。だってあんまり、青春のおわりみたいなんだもの。

少年たちの胸に深い傷とあこがれの記憶を刻み込んだアリス・ブルーの影を、追いかけつづける青春。青臭くもまぶしい、その時間を裸で見せつけてくれる、すてきな作品でした。

「アリス、お菓子づくり得意だったり。料理するように見える? え、見えない? そうかー見えないか。正直すぎるし、ひどくない? でもウケるし。あのね、アリス、クッキーつくったのよ。ジャックの部屋でオーブン借りて。そいで、ヒツジコくん食べるかなって。食べるかなって。じゃじゃーん、チョコクッキー。ぱらぱぱっぱぱー」

(桃華舞『アリスインサスペンス』2011、講談社X文庫ホワイトハート、33頁)

1)2)ともに、桃華舞『アリスインサスペンス』40頁より引用。

落山羊

ひとりサークル【ヲンブルペコネ】。

blog:ヲンブルペコネ

twitterアカウント:@You_Ochiyama

莉子と亜紀の自動車いろは

第二回 ~オープンカー編(中)~

紗那教授

快晴の空の下。自然の香り豊かな六甲山の記念碑台。

「で、どう?」

「ん? どうって何が?」

莉子の突然の問いかけに亜紀は困惑する。

「運転してみない? あたしの車」

「え、莉子のオープンカーを?」

亜紀はさらに困惑する。髪が乱れたり、日光に直接さらされたりするからではない。本当は興味もある。ただ、何となくスポーツカーやオープンカーというのは、運転の上手い人だけに許された乗り物に感じるのだ。彼女は自分の普段の運転にそこまで自信はない。基本的に自分が通る道以外は分からず、ぎくしゃくしてしまうタイプだ。

「鉢巻展望台まででいいからさ。オープンカーって特に助手席と運転席じゃ見える景色が大分変わるし、その楽しさを知ってもらいたいんだ」

記念碑台から鉢巻展望台までは、自動車ならほんの数分で着いてしまう距離である。ここと違って自動販売機やトイレはないが、観光及び休憩ポイントの一つ。また、兵庫県屈指の美しい夜景スポットとしても有名だ。

莉子が煙草を吸い終えると、キーを亜紀に投げ渡す。

「うーん、わかったよー」

自信なさ気な返事で亜紀は応え、二人で莉子の車に戻る。

キーを差さず、ボタンでロックを解除して彼女たちは黒く輝くオープンカーに乗り込む。

「わっ、たしかに助手席とは雰囲気違うかも。改めて座席が低くてタイトな感じがするし、速度メーターが近く感じる。でも、何だろう。窮屈な感じがしない」

「でしょ? エンジンかけてみて」

「うん」

ハンドル下の鍵穴にキーを差し込んで回すと、2000ccの直列四気筒エンジンが低い唸り声をあげる。

「おお、動いた!」

「はは、そりゃ動くでしょ」

やや興奮気味の亜紀。

「幌(屋根)も開けようか。バックミラー上のボタンを押して、ロックを解除してくれる?」

「うん」

「そして、そのまま幌を後ろに引っ張って」

「ん? こう?」

屋根を開けると、入ってきた日差しと共に車内の影が掻き消される。サンルーフ車でも味わうことのできない開放感。そして、彼女も莉子が言っていた解放感を少しばかり理解していた。

シートとトランクの間のスペースに幌を収める。カチッという音が鳴って、運転席と助手席の間にある風の巻き込み防止ボードを立てたら、準備は完了だ。

「発進してみてよ」

「うん、わかった」

シフトレバーをDレンジに入れ、サイドブレーキを下げる。オートマなので、クラッチ操作を気にすることなく、ブレーキペダルを離すとクリープ現象でゆっくり車体が動き出す。

「おお! 目線がこれだけ低いと、何か不思議な感じ! でも視界は悪くない!」

「車体がコンパクトだしね。あ、そこを右に出て」

記念碑台の出口を右折で出る。

「おおっ! ハンドルがよく切れる!」

「一つ一つ感動してもらって、何だか嬉しいよ」

助手席の莉子がくすっと笑い、車がストレートに入ると亜紀はゆっくりとアクセルペダルを踏み込んでいく。

「加速もスムーズだし、座席が低いせいか、タイヤがしっかり地面を捉えている感覚がよく分かる。地に足がついていて安心感がある」

「おっ、何か自動車評論家っぽくなってきたねぇ」

「いやいや、あたしは車のことあんまりよく知らないから。でも、素直に楽しいって感じる」

「ありがとう」

莉子は亜紀が笑顔になってくれたことが何よりも嬉しかった。自分が車を愛する喜びだけでなく、人にも愛車を気に入ってもらえたら、幸せも倍になる。

交差点に差し掛かり、亜紀は左折する。

表六甲ドライブウェイの入り口。ここからは下り一本のワインディングロードとなる。目的地は既に近い。

亜紀はライトウェイトならではの軽快なハンドリングを楽しみながらコーナーを抜け、ドライブウェイの途中にある観光スポット・鉢巻展望台に車を停める。

紗那教授

個人サークル「教授会」の代表。

コミティア文学フリマなどの創作イベントに出没中。

作品のテイストがそれぞれで異なることが特徴的。

稀に水彩画などのイラストも描く。

「小説家になろう」アカウントページ

Pさんぽ

第10回

Pさん

麺屋Iについて語る必要がある。今回の目的地、「N増K口S骨院」とも密接に関わってくる、自分の中では。自分しかこの文章空間では問題になってはいない。他の何者をもこの文章に介入することは出来ない。自分を通して見る他者はどんな者でも「小文字の他者」「対象a」と呼ばれているものだ。ラカンによって。曲名の「対象a」という曲もある。ラカンの概念を元にしている。後期ラカンはゴチャゴチャしたシェーマを濫用していた。「対象a」という曲は遊びみたいにメジャーセブンス、マイナーセブンスを多用していて弾きにくい。そういう曲は多い。動く度にジャラジャラいろんな音が鳴る服を着るような、それは装飾癖に喩えられるだろうか。高校の吹奏楽部の時にオルガンで弾いてみたことがある。メジャーセブンスやマイナーセブンスを。単に白鍵を二つ置きに四つ、音を鳴らせるだけで大抵の和音はメジャーセブンスかマイナーセブンスだ。例外はどこかにある。平行五度と平行四度の旋律が成り立たなくなる点だ。その点においては増五度や減五度が発生する。いわゆるダイアトニックスケールという、ドレミファソラシドという音階は、数ある教会旋法の一部に過ぎなかった。どことどこに半音を置くかによって何通りもの音階を生み出すことが出来る。すべて不安定だ。いわゆるダイアトニックスケールも実は不安定だ。その不安定さを推進力として利用する方法が生み出されただけのことだ。他の教会旋法にもその可能性は残されていた。歴史のIFというやつで、それは誰にでも言えるつまらないことなのかも知れない。「もし徳川家が、もう何代も権力を握っていれば」「もしも森進一が恐竜だったら」「もしも五木ひろしがロボットだったら」「業界の大きなパーティーで急にスピーチを指名された堺正章」歴史のIFは、言おうと思えば言葉の組み合わせによっていくらでも言うことが出来る。それは地動説が維持されたまま科学が進歩した世界でのお話。ラヴォアジエが唱えた「熱素説」が21世紀まで採用され続けた世界でのお話。どんどん量産出来てそれについての言説を増やすことが出来るということは、そのIFは全く大したことがなく、フィクションと関わりを持たないということだ。(続く)