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崩れる通信

「崩れる本棚」創作コンテンツ用のブログです。

崩れる通信 No.10

さて、この時がやって来た。崩れる通信です。

まず、前回に引き続き、更新日が遅れてしまったこと、ここにお詫び申し上げます。

はい、まあ……ね。あれだ、気分を切り換えて。切り換えて行きましょう。

もしそんな人がいたらですが、テキスト・レボリューションズ2において、当通信を知悉された方がいたとしたら、はじめまして。

改めて、当通信のコンセプトを掲示致しますと(詳しくはマニフェストを)、文芸サークル「崩れる本棚」内外のさまざまな作家に、月一回、エッセイなどを書いてもらっている、毎週更新のブログです。

もし気に入って頂けたら、また読んで下さい。

では、紹介。

一作目、そにっくなーす「精神科ナースが命を狙われた話」第3回。リアルな話である、とともに、リアルと向き合う為のエッセイである。

二作目、ウサギノヴィッチ「6 minutes ago」。演者と作中人物が巧妙に錯綜する、戯曲。いや、これって本当に戯曲なの?

三作目、Pさん「Pさんぽ」。普段なら前書きには出さないのですが、少し自分の書いた物に自身が出てきたので、題名を挙げることにします。

以上。皆の者……次は、文フリだ!!

精神科ナースが命を狙われた話

第3回

そにっくなーす

とりあえず平和は訪れた。と言ってもよかろう。精神医療にかかわる者を殺したがっている人のアカウントはどこかに行ってしまった。正直ずっと怖かった。誰かの回復を手伝うために看護師を始めたはずだったのに、恨みを買って殺される可能性があるなんて、学生の時は知りもしなかったのよな。

自分の健康や大切な対象など、なにかしら「喪失」を経験した時に人の心がたどっていく過程には必ず「怒り」というものがあり、喪失したものが健康や死に関連するものごとであれば、その怒りを最もぶつけやすいところにいるのが医療者なので、恨まれたり訴訟されたりすることは珍しいことではない(でもまあ、極力避けたい)。弁護士さんとかもそういう事情はわかってくれていて、統合失調症の妄想により弁護士へ相談をしてくる患者さんには、患者さん側の損のお話をしてじょうずに訴訟を避けさせてくれることがある。本当にこっちが悪いことをして訴えられるのなら仕方ないが、精神疾患の妄想に左右されたことにより訴訟を起こされてもそれが事実から離れていってしまっているのだからお互いにとって何もいいことがないのだ。こういう場合、訴えてきた患者さん本人の恐怖感や不安感を落ち着かせてもらい、訴訟が患者さん本人にとってなんのプラスにもならないことを分かってもらうしかない。

どうしてこんなに怒りをぶつけられやすいのか。「怒りをぶつけられ専門職ランキング」を打とうものなら、医療職は五本の指には必ず入ると思う。

専門的な知識がある人間というものは、その知識をもたない人かつその知識により左右されうる未来をもつ人にとっては、本能的に「怖い」と感じるものである。自分と全く関係ないことに詳しい人は怖くないけど、「わたしはあなたの体の中や未来が見える」という人がマジでいたら見過ごせないでしょ。その人の実際の知識のほどは人によるのでなんともいえないが、白衣を着て、資格を持って働いている、ということはイコール知識がある、という風に見える。この人がちょっと気分を変えて僕を陥れようと思うならそれはちょっと薬を変えるだけで簡単にできるんだ、ということはものすごい恐怖だ。そして他人の知識を畏怖をもって感じとろうとすると、人はそれを無限大に想定してしまう。パソコンを全く知らない人が、インターネットでちょっと検索すればなんでも分かるんでしょ、って思ってたりするのと同じだ。医療者は特殊能力者ではないのは誰でも分かっていると思う。だけれどとくに医者なんかは、病気治しますという看板を掲げた職業と思われているので、もうどっから見ても手遅れの症例とかを見せられて「どうして治せないんだ」とキレられたりする。

アニメを見てぼんやりしながら、あー自分に特殊能力がなくてよかった~、と思う。なんらかの適性を自分の中に見出して職業を選んだはずではあるのだが、例えばどっかの妖精みたいに、自分の涙をぽたりとこぼせば誰かの傷が治るなんて人に知られようもんならいつだって目を腫らしていなければならない。そして限界があって癒せなかった人の家族なんかに恨まれて、医療者やってるよりもずっと命を狙われるリスクは高いであろう。ドラえもんだってきっと、家族や地域のコミュニティによって、軍事利用や営利目的での利用や誘拐などされないように注意深く守られていたから、あんなに長くゆったりとした時間をのび太くんとともに過ごせたはずなのだ。

そう、特殊能力がある、ということは、利用されるということ、であるとも言える。特殊能力というと、医療者よりも圧倒的に患者さんのほうにそれに近い人がいっぱいいるではないか。いにしえの精神病患者(統合失調症が主だと思われる)は精神科未発達の時代には、神のお告げを聴けるひととして超能力者扱いされることが多かった。ジャンヌ・ダルクなんかもそうであろう。リュック・ベッソン版「ジャンヌ・ダルク」では、リュック・ベッソン監督独自の解釈でジャンヌの一生が描かれているが、ジャンヌが解離と誇大妄想をもっておりそれを国王にうまいこと利用されてしまったとの見方をしている。英仏トロア条約でフランスが英国領にさせられた時代、神の声を聴いた「ロレーヌの乙女」として有名になったジャンヌをシャルル七世は領土奪還のために利用したうえ、英国軍に捕えられても助けもしない。きっと魔女裁判にかけられて殺された人の多くは現代の医師が見れば精神科疾患と診断されるのではないか。

神の声が聞こえるすごい人として一生を過ごすか、病気の人として薬で幻聴などの症状を抑えながら一生を過ごすか、どちらがはたしてその人にとって幸せなのであろう。

精神科にかかってたくさん薬を飲まなければならないというのはネガティブなイメージを持つ人がほんとうに多い。今でこそメンヘラということばはかわいく使用されていたり心療内科にかかることがカジュアルになってはいるが、メンヘラのたしなみというといわゆるサブカルなモチーフであるみたいな、変なイメージもなきにしもあらず。心にかかわってくる症状であり、それによって自分の存在そのものを疑ったり否定したり認識をゆがめられるのでものすごくつらいから、闘病生活がカラッとおひさまみたいに明るいってことはそんなにないのだけれど(躁状態はカラッと明るいの定義からは除外する。カラっというより暑苦しいからだ)、幻聴が聞こえることを耳の疾患だと思い耳鼻科にいって、抗精神病薬を「耳の薬」だと思って内服している人がいたというのを中井久夫先生の本で知って、なんだかスカッとした明るさを感じた。医者も患者も、もっとシンプルにものごとを考えられるなら、そんなに悩まないですむのにな~。まあシンプルに考えさせてくれないような脳の動きがあるから苦しいんだけどな。ヒントは意外と足元にあるのではないかと思うのである。


参考文献:中井久夫「精神科医がものを書くとき」

中村道彦「パノラマ精神医学 映画にみる心の世界」

リュック・ベッソン監督 映画「ジャンヌ・ダルク

酔っ払いバタフライ

そにっくなーす率いる「酔っ払いバタフライ」2014年5月の文学フリマ東京から活動開始。看護師のほかに、バンドマンやら料理のうまいハリネズミやら乙女男子やらセンスいいたぬきやら天才デザイナーやらが属している。本は下北沢クラリスブックスにて委託販売中。

twitter:@sweetsonicNs

6 minutes ago

第2回

ウサギノヴィッチ

第1場(承前

紀田はコーヒーを買いに席を立つ。

亜樹は紀田が席を立ったところを見計らって

スマホを取り出す。

スクリーンに亜樹のスマホの画面が映し出される。

LINEの画面になると「どこにいるの?」「返事ください」

の文章がたくさん出てくる。

しかし、久遠寺からの返信はない。

亜樹はまた新しい「どこにいるの?」を打ち込む。

紀田が席に戻ってくる。亜樹はスマホを隠す。

紀田 「ん? なんかあった?」

小笠原「ううん、特になしかな」

紀田 「わざわざ、東京に彼氏追っかけてきたんだから、見つかるまでは帰らない感じ?」

小笠原「そのつもりです」

紀田 「これからどうするの?」

小笠原「特に考えてないです」

紀田 「完全に僕を頼りにしに来たの?」

小笠原「そうですね」

紀田 「だれにも二人が付き合っていることは言わないの?」

小笠原「はい。というか、久兵が言うつもりがないみたいです」

紀田 「ふぅん」

紀田は背を反らせて椅子にもたれかかる。

紀田 「こういうことは、みんな知っている方がいいと思うんだけどな」

小笠原「別れた時のリスクを考えて、あえて言わないようにしてみているみたいです」

紀田 「わからないなぁ、若い子が考えていることは」

小笠原「私も彼のことよくわからないです」

紀田 「でも、今の子らしいのかな? 全体の和を重んじるってところは」

小笠原「そうなんですかね?」

紀田 「そうじゃない? 僕はそう思えたけどね」

小笠原「そうですか」

紀田 「前にもこういうことはあったの?」

小笠原「ないです。始めただから余計に心配なんです! だから、東京まで来たんです」

紀田 「久遠寺の部屋の鍵は持ってないの?」

小笠原「持ってないです」

紀田 「これからどうするの?」

小笠原「服でも見てストレスを発散でもしようかなって思ってます」

紀田 「そんなんで落ち着くの?」

小笠原「やっぱり、東京にせっかく来たんだから、田舎にはないものが欲しいんですよね」

紀田 「生まれも育ちも東京だから、田舎の事情を知らないから、なんとも言えないや」

小笠原「田舎には酒とセックスしかないんですよね。だから、結婚する人が多くて、私、今年で25になるんですけど、同い年で子供二人とかいる人いますからね」

紀田 「ふぅん。田舎の高速の近くにはラブホがいっぱいあるって本当なの?」

小笠原「本当です」

紀田 「あははっ、そうなんだ」

小笠原「だから、田舎は単細胞なんですよね。酒を飲むかセックスするか二択しかないのは、非常に残念です」

紀田 「なんとなく気持ちわかるな」

小笠原「本当ですか?」

紀田 「ほんと、ほんと」

小笠原が会話を続けようとしたときに紀田のスマホが鳴る。

紀田 「やべっ、仕事先からかな?」

小笠原「今日仕事なんですか?」

紀田 「一応、フリーランスでやってるけど、土日にトラブル対応とかもやっているんだ」

紀田は席を立って電話をする。

亜樹はスマホを取り出して思いにふける。

紀田が席に戻ってくる。

亜樹は今度はスマホを隠さない。

紀田 「連絡とれた?」

小笠原「いや、全然ですよ」

紀田 「どっか行く?」

小笠原「いいですよ、私、表参道に行ってきます」

紀田 「一緒に行くよ」

小笠原「だって、仕事が……」

紀田 「大したことはないから大丈夫だよ」

小笠原「そうですか?」

時計のアラーム音がする。

暗転

第2場に続く

Pさんぽ

第12回

Pさん

物語が、「IF」を基軸にして展開するというのは、実は少しずれているのかも知れない。文章という道具自体が、一言発すれば無数の仮定を生むといった性質を持っていて、「IF=物語論」は、それに自覚的になることで、少しスムーズに事が運ぶといった程度の事なのではないか。ラヴォアジエの説は後に否定され、それによって熱はエネルギーの代名詞になり、「火」に関する元素とその連想空間、神話などと生体エネルギーの一元論的な神話が接続され、「カロリー」という単位になった。鍵盤を「レミファソラシドレ」と弾いたときの旋律が、もっとも有名な教会旋法である。ドリア旋法という。現代においては和声的につじつまの合わない形になっているため、旋法としてしか残ることがなかったのだが、逆に言えばその矛盾が爆発的な「意味」を生じさせて、音楽の生成を切りなく果てしないものにする、生物の生成に近付ける。これで本当に合っているのか? 間違っているんじゃないか? そう思うことによってしか、次を作る動機は生まれない、そのほかの動機は不純とは言わないけれども、ほんとうの意味で前に進むための機動力にはならないのではないかと思う。「対象a」をウクレレで未だに弾きこなすことが出来ない。

麺屋Iについて先に語る必要がある。そして、それに関して、新たに加わった一つの場面がある。総合して三種の場面が目の前にあり、その三つを同時に一ぺんに語る必要が出てきた。(続く)