崩れる通信

「崩れる本棚」創作コンテンツ用のブログです。

崩れる通信 No.20

こんばんは。今週は、日曜日に更新となりました「崩れる通信」。

はやくも第20号となりました。

書き手の皆様、読み手のみなみなさま、本当にありがとうございます。

密かに、「通信」にも変化の兆しを与えていきたいと思っています。それはともかく、今回。

1 takuiさんの「理想のチューナー」。FMチューナーにかんする考察です。

2 秋月千津子さんの「文具語り」。

文房具のいっぱい詰まった福袋の話。

最後、方向性が完全に定まらないPさんの「Pさんぽ」。

スィーユーネクストウィーク。

理想のチューナー

S333ESG

yoshiharu takui

今年手に入れたいちばん大きな買い物は、FMラジオのためのチューナーだった。9月18日、御茶ノ水の中古オーディオ店で出会ったのが、1989年(26年前)に発売されたソニーの「ST-S333ESG」というチューナーだ。

普段聴いているFM局の受信がとても良好で、さらに説明書と付属品がそろった大変きれいな状態。今でもチューナーとしてしっかり使えるものが、1万円、それも保証なしで売られていたことに、とても驚いた。

今年の9月は、トリオ(現在のJVCケンウッド)でFMチューナーを開発されていた方とメールで連絡を取る機会があり、その方から「KT-80」という機種をお借りしていた。

受信機としての能力がとても優れていたことに驚き、同じような高性能を持つFMチューナーを探していたところに、生活の負担にならない値段で現れたのが、ソニーのST-S333ESGだった。

お店によれば「ソニーでも修理を受け付けていない機種ですから、保証なしの現状渡し品ということになっております」とのことだった。

状態を確認したあと、その場で「お願いします!」と即答して、発送費を浮かすために7kgのチューナーを持って家に帰った。

同じお店に家族で来ていた10代の女の子(お父さんがオーディオ愛好家なのだろう)が

「あ、こんなの買う人いるんだ」

と言う心の声が聴こえてくるような、あっけにとられた顔でこちらを見ていたのが、12月下旬の今も目に残っている........

さて、ST-S333ESGを毎日の生活と共に使っていて驚くのは、出演者がスタジオで話している時のリップノイズ(舌が触れる音)まで、ほんとうによく聴こえることだ。

それは、目的の放送局だけを良好に受信するための基本性能が非常に高いことの証になっている。

今まで使っていたチューナー(アンプの中にチューナーが組み込まれた「レシーバー」というタイプ)では、アンテナからチューナーに入力された電波が強すぎた場合、その電波を弱める回路がなかった。

不快なノイズが乗ってしまうだけでなく、他の放送局同士との混信、ケーブルテレビでFMを受信した時の周波数(放送局の周波数と異なる場合が多い)との混信もそのまま受信してしまっていた。

ST-S333ESGの場合は、そういう状況がまったくない。混信のない電波だけを、しっかり聴き取れる音で受信することができている。

電波の入力が十分に入った状態で、雑音がどれだけあるかという目安になる「信号対雑音比(S/N比)」も高く、説明書には92デシベル(ステレオ受信時)という値があった。

この数値が高いほど、FMの電波の中にある雑音を排除して、ひずみの少ない状態で、音楽や声だけを取り出す能力に長けていることになる。

S/N比が高い」「S/Nがいい」という言葉だけは聞きかじっていたのに、チューナーで受信していることを忘れ、放送されている音楽やトークそのものに、深く入り込める臨場感を楽しむうちに、言葉の持つ意味を実感した。

NHK-FMで放送される「NHK交響楽団定期公演」の生中継で特に感じる、強烈な生々しさ。それは、配信でにわかに広がっている「ハイレゾ音源」にも劣らないほどの魅力がある。

理想的なチューナとは放送局のスタジオとユーザーのアンプの入力端子を直結するケーブルのようなものであり、伝送途中で混入する雑音、混信、ひずみなどが

耳には検知できないレベルにまで押さえられなければなりません。

(春日二郎『ハイファイFMチューナ』"4章 Hi-Fiチューナに必要な特性と機能"より引用・抜粋)

日本で最初にFMチューナーを発売したトリオの創業者、春日二郎さんのこの言葉を体現したチューナーが、わずか1万円。それも、メーカーが修理を受け付けていないという理由だけで安く売られていた。

受信機、オーディオ機器、実用品としての優れた価値と、付く値段は必ずしも一致しない現実がある。

チューナー自身が感情を持って、言葉を話すとしたら

「まるで人としての価値がないみたいだよな、なんか寂しいんだよ」

こんな風に言うかもしれない。

ここまで、過去に発売されたチューナーの高性能機のすばらしさを書いてきた。

けれども、音楽が好き、ラジオを聴くのが好き、という人でも、古いチューナーをいきなりポンと買うことはおすすめできない。

大切に使われていたもの、性能が良好なものを買うのと、そうではないものを買うのでは相当な差があり、当たり外れが大きいからだ。

自分自身、たまたま良好なものを手に入れることができたから良かったけれど、古いチューナーの外観だけに惚れて、性能が極端に落ちている物や、はたまた故障しているものを出来心、遊びで買っていたら、

修理や調整をしない限り、出てくる音に対して驚くことはなく、買っても使わずに置いておくだけ.......という状態が簡単に想像できる。

この時期よく電車の中に落ちている、誰かの手袋の忘れ物と同じ状態になってしまうとしたら、それはチューナー自身に対して、とても申し訳ないことのように思う。

もっとも、9月にお店での保証がない状態で買って以来、すっかり生活に馴染んだST-S333ESGも、どこかで修理や調整が必要になるかもしれない。

末永く付き合っていきたいチューナーが手元にあるからには、覚悟しているところ。修理と調整が自力で行えるほどの技術や知恵を身につけたいと密かに思っている。

参考書籍

春日二郎『ハイファイFMチューナ』

雑誌『無線と実験』1969年7月号より

「FM放送を見直そう(春日二郎)」

ソニー ステレオ・チューナー ST-5000F」

(※ST-5000Fは、ST-S333ESGの先祖にあたる機種。当時の日本におけるFMチューナーの最高級品)

文具語り

第6回

秋月千津子

あと数日で新しい年が始まる。新年と言うと、初売りを楽しみにしている方も多いと思う。そこで今回は、文房具の福袋について書いていこう。

文房具に福袋なんてあるの? という方もいるかもしれないが、実はかなりお買い得な上、しっかりしたメーカーのものが格安で手に入るので是非チェックしていただきたい。

身近なところでは、無印良品の福袋(http://www.muji.net/mt/contact/cmdty_faq/cat1663/015645.html)。「中身が見える福袋」の形で売っているので、わくわく感は味わえないが安心して買うことができる。1000円程度での販売で、中身はノートや付箋、ペンケースやバッグインバッグなど定価5000円以上の品物が入っていることが多いようだ。ネットストアでは抽選販売のみで、すでに抽選は終了しているが、店舗の方では年明けの初営業日から売り出しとなり、購入することができる。

それから、オシャレ文具のお店「Smith」「DELFONICS」(http://www.delfonics.com)も福袋を売っていることが多い。こちらは2000円程度で購入でき、中身は1万円程度のものが入っていることが多いようだ。中身はDELFONICSブランドのノートや写真アルバム、ファイル類など。DELFONICSの商品はシンプルなデザインのため、色々な場面で使えると思う。今年の福袋についての情報が出ていないので、売り出しがあるかどうかは不明だが、店頭で見つけたら買ってみてはどうだろうか。

そして、神戸の文具店「ナガサワ文具センター」の福袋ならぬ福箱(http://www.nagasawa-shop.jp/GOODSDETAIL-68533)。こちらは10800円と高額だが、中身も高級文具を3万円以上詰め込んでおり、お買い得だと有名だ。定価2万円程度のシステム手帳やカバー付きノート、定価4000円程度の名刺入れやキーケース、定価3000円程度のペン類などが入るようである。ネットショップで予約して買うことができるが、毎年売り切れになってしまうため、興味のある方はお早めにチェックを。ちなみに、私がこの記事を書いている今の時点では、残り26点となっている。

その他、雑貨店や街の文房具店などでも福袋が作られることが多い。早いところでは年内から売り出す店もあるので、年末年始のお買い物の際には、是非文房具店にも足を運んでみてほしい。

新しい年を共に過ごすにふさわしい、素敵な文具と出会えますように!

秋月千津子

個人サークル「深海の記憶」で活動中のインディーズ小説家。

Twitter:@akizuki_chizuko

【イベント参加予定】

10/10 第2回テキストレボリューションズ

11/23 文学フリマ東京

Pさんぽ

第22回

Pさん

あれから三年が経ち部活動に並々ならざる情熱を傾けていた副将の情熱は行き所を失いひたすら自罰的、自虐的なエネルギーへと転化した。人並みに清潔にしている皮膚の表面があらゆる悪の常在菌で埋め尽くされ、どんな「キレイキレイ せいけつボディソープ」であろうと、どんな「naive(ナイーブ) ボディソープ」であろうと、どんな「ビオレu ボディウォッシュ」で角質がギザギザになるまで磨き上げようと、その悪の常在菌が皮膚から剥がれ落ちることはなく、そのまとわりつきが自分の手足を縛りつけ重くさせて、あらゆる行為をしようとする意欲をバターナイフのようにゴリゴリ削られるかのように感じているのであった。悪の常在菌め。わざわざインターネットで購入した遮光カーテンで昼と夜の区別がまったくなくなり、雑然とした部屋でひたすら顔の片面にブルーライトを浴びて「ブルーライト焼け」を起こした薄緑色の副将の顔を一目見た印象を表現するとしたら、それはジャムおじさんが釜の中の位置を間違えて置いてしまった焼き損じのアンパンマンだというのが適切だろう。

単なる腐れ縁を聖職者の峰行か神への道につながる修行か何かと勘違いしている、かつて副将の部活のマネージャーだった女が副将の家を訪れた。

副将の顔に数匹のムカデが這っているのを見つけて、木梨憲武が爆笑するくらいのひとくさりのコントじみたやりとりがあり、それが落ち着いた所で、そのマネージャーは、厳かに、かつ優しく、父祖の声を用いて語り始めた。

「継受」とはこのように何よりもまず祝賀的な言説であり、真理の宣告である。そこから出発して、われわれの神話概念は明らかになりうるのであり、またわれわれに直接関係するものになる。この点に関して、人類学の業績、とりわけレヴィ=ストロースのそれの限界は、ローマ法の歴史の捉え方のうちにある。編纂された集合体としてただ「そこにある」という事実だけでそれは神話の価値をもつのであり、あえて言うならそこにあるということのほかには何ら言い足すべきことはないのだ。この点はきわめて重要である。

(216~217ページ)

階段を副将の母親が上がってくる音がした。階段の曲がり角で、トレイを持ち直す金属の音がした。それから、母親の靴下がフローリングと擦れる音がした。フローリングの合板の裂け目が広がり「ヒィ」という音がした。触るだけでガタガタいうドアノブに手を掛ける音がした。すべてが崩れる音だ。(続く)