崩れる通信 No.22
ここに、本年第二回目の崩れる通信を送ります。
連載組の復帰です。楽しいです。オヤジ達の渋い趣味が炸裂である!
と、同時に、身の回りの人達に、いろんな変化が起きています。書くことを問い直している者、書くことに生きることを見出すもの。書くことによって、身の回りのネットワークを拡充しようとする者。
もともと、変革のモトを、体中に蓄積していた人々のみが、季節の変わり目や節目と言われる時期に、非可逆な変化、つまりほんとの変化をするものであるとは、巷によく言われるとおりです。
日々と近未来を占い、偶然性に任せ、開花せよ、と、エラそうにしているだけの編者は思います。
もちろん、この中に私めも含まれているわけですが。
一作目、メルキド出版小五郎氏「白い教室」第五回二作目クロフネⅢ世「路上観察のすすめ」第五回三作目Pさん「Pさんぽ」!
ものを書ける者はすべて筆を取りペンを取り万年筆を取りポメラを取り、書けることをすべて書き出せ、出来る事はただそれだけだ。
白い教室 ~落第生のはらわた~
第5回
さて、今回は、迷走する当エッセイの年明け一発目ということなので、去年のわたくしの文化的側面を、毎度お馴染みな切り口で、少し振り返ってから本題に入りたいと思う、どうか余談をお許し頂きたい。
2015年、わたくしは376冊の本を購入した。
そのうち、167冊は、小説・評論・エッセイの単行本もしくは文庫本だ。
残りの209冊は、雑誌・新書・テキスト・画集・パンフレット・新聞(直売り)だ。
前者は全体の44%で、後者は55%(残りは端数)。
そして、肝心要の読み終わった本は、20冊(同人雑誌含まず)だった。
少ない、あまりにも。
ついでに観了した映画は、15本。
こちらも例年に比べ少ない。
それもこれも4月に発症した緊張型頭痛の影響だろう。
この結果を受けて、無駄に本を買い過ぎていると、わたくしは、また決意を新たにして、結論づけた。
といっても、今年に入って早々、久々のブックオフで、性懲りも無く、14冊爆買いしてしまったわけだけど。
では、自虐的自慢はこれくらいにして、本題に入ろう。
当初は、哲学エッセイと銘打っていたものの、前回、前々回と詩やら小説やらの言葉を端緒に論を展開してしまうという主旨破りの方向に進んでしまっているので軌道修正をしなければならない。
というわけで、今回はゴリゴリの現代哲学のフランスを代表する雄、ジル・ドゥルーズ(1925―1995)のあやかりたいお言葉である。
ポストモダンは科学的誤謬、とソーカルを持ち上げる宮部みゆきや、ポストモダンは無責任な笑いだ、と柄谷行人に揶揄されて、喧しい不寛容が跳梁跋扈する21世紀初頭……それでもわたくしは、20世紀通り、ドゥルーズを愛してやまないのだった。
さっさと箴言を書け、と突っ込まれそうなので、やっと紹介する。
ひとりの個人が真の固有名を獲得するのは、けわしい脱人格化の修練を終えて、個人をつきぬけるさまざまな多様体と、個人をくまなく横断する強度群に向けて自分を開いたときにかぎられる”
(『記号と事件』宮林寛訳・河出文庫 P19)
少々長文だが、為末大の浅墓なツイートよりも何倍も感動的な文章だ。
ここで、いつものようにガラッと角度を変えて考えてみる。
人間とは現存在として、差別や偏見に満ち満ちた主体に縛られている、とはフランシス・ベーコンがイドラで説明した通りで、それらを取り除くには、ゆずも歌っているように「ひとはみな鏡だから」他者と塗れて距離感を捉まえねば、フッサールの志向性なども脱した主体は立ち現れない。
「私以外私じゃないの」とゲスの極み乙女。も歌っているように、私以外にならないと、私にはなれない(?)、非常に込み入ったパラドキシカルな道筋でしか、自己同一性を脱臼させることでしか、人間は主体性を持ち得ないばかりか、人間として軽く生きることができないのだ。
これは押井守『凡人として生きるということ』(幻冬舎新書)で述べられている
他者を選び取り、受け入れることが人生
(P63)
「他人の人生を背負い込むことぐらいはできる」という気概を持って生きていなければならない
(同上)
といった他者論にも繋がってゆくだろう。
そして、この考えは、生身の人間から芸術作品、はたまたコンピュータまで敷衍できるものである。
しかし、入り込み過ぎた他者は、自己から排除されることもあるだろう。
その救済も必要だ。
(了)
路上観察のすすめ
第5回 自然公園
路上という日常の通過点に観察の主眼を置いてきた連載だが、ちょっと視点を変えていこうかと思う。
路上の何気ない光景にあえて新たな価値観を追い求め、新たな視点により街の定義を再構築してきたわけだが、それは何も路上だけでしかできないわけでもない。路上から少し寄り道しても、そこに新たな光景が広がっているときもある。そこもまた、日常の何気ない光景でもあるが、視点を変えてみれば新たな世界観が広がりだすのだ。
それが、公園である。
しかも、児童公園の類とは少し違う。自然公園に今回は着目してみた。
上記2枚は、横須賀市の観音崎という場所にある自然公園の光景。元々、明治時代には東京湾防衛の拠点として砲台が設置されていた場所だ。つまり、軍の重要施設だった場所である。今では、少し荒廃した雰囲気は残すもののその痕跡が至る所に見られる。そんな一画に、不意に謎の空間が開けているから驚かされる、近くには戦没船員の慰霊碑があるためにその関連なのかもしれないが、特にそれに触れられた説明はどこにも書かれていない。
趣はなにやら古代宗教で使用されたような施設にも見えなくはない。だからこそ、創造力を非常に掻き立てられる光景でもある。創作活動をしている者がこの地に立てば、きっとその想像力を激しく揺さぶられ何かしらのインスピレーションを与えられるに違いない。
ちなみに、この観音崎という場所は歩いているだけで非常に興奮できる場所だ。
以下の写真のような不気味な光景が至る所に見られる。
怪物が封印されたような壁にも見えなくない。
呪われし野獣が解き放たれ、世界は混沌の渦に陥れられる。
もしくは、壁を壊すと大量の死体が埋め込まれていて……。
公園内にはトンネルも散見される。夕方あたりに一人で訪れると実に不気味な場所だ。
この先を抜けると、本当に別次元にたどり着けそうな気分に陥る。
いかがであろうか。こんな不気味で興奮できる場所が、なんと都心から電車一本で行ける場所にあるのだから驚かされる。是非とも、読者諸君も休日は電車に乗って遠出していただき、創作意欲を刺激されて頂きたい。ちなみに、すぐ近くには美術館もあるので、文化的休日を望む人にはお勧めの場所でもある。
(京浜急行で終点の浦賀駅まで。そこから駅前から出ている観音崎行きのバスに乗っていただき、こちらも終点まで進んでいただき、そこで下車すればもう自然公園手前)
それでも、横須賀は遠いと嘆いてしまう方にも、もっとお手軽に楽しめる場所がある。
なにも都心から離れなくても、実はこのような光景は見られるのだ。
写真の場所は、実は山手線圏内にある。しかも、新宿区だ。
ここは、元々は明治時代に軍の射撃訓練場だった場所だ。更にたどると、江戸時代には尾張徳川の下屋敷があった。庭園は東海道の景観を模して造られ、当時はちょっとした観光施設のような場所だったらしい。
奇しくも、観音崎とともに明治時代に軍施設として使用されていた場所になる。明治時代には何か古代宗教回帰ブームでも起きていたのだろうか。それとも、宇宙人との交信でも密かに行っていたのだろうか。
そんな妄想を禁じ得ない光景でもある。そこからまた、創作を始めていくのも面白いだろう。
ちなみに、幽霊が出るという噂もある場所である。これも、創作の一アイデアに使えるかもしれない。
さて、これはなんだろうか?
下は水が張り巡らされている。ただし、この支柱がある場所は屋内である。それがまた不可解な環境なのだが。
これも、都心から少し離れた場所で見られる光景である。京王線で新宿からしばらく揺られていれば辿りつける場所。もしくは、南武線でもいける。
そう、東京都稲城市だ。梨で有名な場所でもある。南武線の南多摩駅から多摩丘陵地帯の坂を登っていく途中にある公園内で見つけた光景だ。
支柱の上をアップしていくと……
御覧の通り、竜がいる。
この光景も、何か想像力を掻き立てられないだろうか?
張り巡らされた水の上に構える龍。これもまた、何か儀式めいているというか、まさに我々に力を授けてくれるかのようである。
授けられた力により、大きな物語が展開していくのだろう。
「竜神丸!!」
と叫びたくなる年代の筆者にとっては、非常にときめく光景であるのだ。
最後に、沖縄(沖縄市)で見た光景。
残念ながら、都心から手軽に行ける場所ではない。
知花城(ちばなぐすく)跡すぐ脇にあった鉄塔。
何気ない鉄塔だったが、山の脇にそびえ、なんだか惹かれたので写真に収めた。
ジョジョの奇妙な冒険にも鉄塔に住みつくスタンド使いがいたと思う。鉄塔は物語の創造意欲を掻き立てるマストアイテムなのかもしれない。
で、その鉄塔脇のちょっとした丘のような場所を上がって草木を分け入っていくと見つけたのが上記写真の階段。城跡だったようだが、もはやそんな面影も乏しく、あたりはうっそうと茂る植物ばかり。そんな中に封印されたかのようにロープで遮られた階段を見つけた。階段愛好家としてはたまらない光景だが、この遮られた空間というのも創作意欲を沸かせる。
一体、この先に何があるというのだろうか
ホラー展開が待ち受けているのだろうか? それとも、異世界へと通じる道なのだろうか。
その先の物語は、あなたの頭の中にあるはず!
さて、今回は若干趣向を変えてみて自然公園内を歩いてみた。
いかがであっただろうか。そう、創造力を掻き立てる光景は路上だけでなく至る所に存在するのである。自分の街には何もなさ過ぎて……、なんて考えるのは早すぎるのだ。何がどう創造力に影響するか、それはなかなかわからない。人に指摘されることにより初めて気が付くことも多い。
筆者も、今後もっとより鋭角に細かく路上の観察ポイントを抉り出し、創作活動へとつなげていきたいと考えている。
ご期待ください。
Pさんぽ
第23回
母は語る。向こう側に見える汚いカーテンが、少しだけ開けられた窓からの風に靡くのを見ながら、ゆっくりと、立ち上る自分の過去の匂いを、ゆっくりと漂わせ、そうしながら生活に馴染んだ柔和な顔立ちをうまいこと作りつつ、背筋に鋼の板を通わせ、すべてを断ち切り律する原初の立法者の口調で、霹靂の音づれのごとく、語り始めた。
冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのでなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。それをのどかと見るならばのどかなのは春に限らなくて春は寧ろ樹液の匂いのように騒々しい。そして騒々しいというのはその印象があるうちは時間がたつのに気づかずにいることで逆に時間の観念が失われているから騒々しい感じがするのだとも考えられる。例えば何か音がしていれば時計の音が聞えなくてその理由が解っていても聞える音の為よりも時計の音が聞えないので落ち着かないということもあり得る。併し時計の音を挙げるのも必ずしも的確ではなくて時間がたって行くのを刻々に感じる状態にあるから、或は刻々の観念も既になくて時間とともにあるから時計の音も聞えて来る。或はその音が聞いている方に調子を合せる。
まだ時計のようなものがなかった頃の方が時間の観念は正確だったかも知れない。その秒針が動くのを見ていて今と思った瞬間に既にそれが過去という風な慌しい考え、もっと厳密には妄想も生じるので何が動いているのでもその動きも時間のうちにある。それが時計の秒針でなくて水車小屋の水車ならばそのことを理解するのに困難はない筈で一秒、二秒と数えるから今がもう今でない感じにもなる。併し一秒前の針の位置が三秒前、四秒前のことになってその四秒前が過去であると考えるのは物理的な所謂、時間が頭にあってのことでそれならば過去、現在の区別も全く物理的なものになり、その拘束を離れるならば水車はいつまでも、或は今が今である意識が続いている限り同じ眺めの中で廻っている、その上の空では鳥が舞っているかも知れなくてその鳥は空の或る位置にいたのが次の瞬間には別な所に移っているのでなくて空に舞っているのである。それは水が流れているのと変ることがない。
そういうことなのよ。
母は一口に古いことわざを吐いただけのように一息ついた。息子である副将は母の話に出てきた「廻」という字がわからずスマホでググっていた。
「延 なるとみたいな字」キーワードが悪いらしく何も有意な情報が現れなかった。
副将に付きまとう小娘はとうに屋根裏に逃げ隠れていた。(続く)