崩れる通信

「崩れる本棚」創作コンテンツ用のブログです。

崩れる通信 No.24

みなさん、お久しぶりです。崩れる本棚、「崩れる通信」担当の、Pさんです。先週は自己都合によりお休みしましたこと、お詫び申し上げます。

そして、悲しいお知らせがあります。

毎月第一週に連載していただいていた、落山羊さんの「えいえんの少女と小説」が、休載の運びと相成りました。

今まで、質の高いエッセイを寄せていただき、ありがとうございました。この場を借りまして御礼申し上げます。

その他、実質上休載の方が数名いらっしゃることも受け、今後、崩れる通信の更新は月二回の隔月にさせていただきます。

あしからず。

詳細は、トップページの「まにふぇすと」に記載しますので、皆様御笑覧下さいませ。

さて、今週の更新です。

一作目、憂野さん「ホニャホニャプーの管」。道端に転がるナゾの物体をフィクションの力で解明していこうというコーナー。妄想力爆発、クる人にはクる名コーナーです。

二作目、秋月千津子さんの「文具語り」。さまざまな種類の文具を紹介していきます。

三作目、タクイさんの「jazzgame」。毎回オーディオにまつわる話を寄せていただいています。

四作目、Pさんの「作家が入院中の老人のお見舞いに行った」。最近抱えている原稿の助走として、更新前に書きました。

以上。鈍行の崩れるエクスプレスに乗車いただき、まことにありがとうございます、全国を突っ走る環状線の特急列車は、ノンストップで、あらゆる駅に停まります。

キキー。

ホニャホニャプーの管

第2回

憂野

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民家の脇、側溝に数メートルある長い管が設置されている。僕はこの管がなぜここにあるのか、その経緯を記そう。

この管は幾年か前までは右手に見えます民家こと、五里山・御リラ・音子家で使用されていた。五里山さんは中世ヨーロッパからタイムスリップしてきた未来人で、古生代の昨今では珍しいペットをお飼いになられていたそうな。

そのペットというのがヌメェラッゾゴンです。

ヌメェラッゾゴンヌの姿形はまるで人間ですが、僕らの時代でいうナメクジの進化した生き物だそうで、雌雄同体、顔が五〇代の疲れ切ったおっさん、鳴き声はなまぐさいため息、体は長さ約三メートル、横幅約八センチ、粘液に覆われていて常にぬめりがある、そんな生き物。このヌメェラッゾゴンヌプ、細長い筒状の巣で暮らし、外へ出るとぴくりとも動きません。お前は僕か。ははは。ちなみに僕は日の光を浴びると除光液になるので死にます。

……話がそれましたが、五里山さんはなんとか家で飼おうと四苦八苦、家じゅうに写真の細い管を張り巡らしました。地下から室内、それはもうありとあらゆるところに。それが悲劇の幕開けだった。

ここ、埼玉県深海都市獅子市には、地底猫という地猫が大量発生していて地元住民とうまくやっている。そんなあるとき、六〇度超の猛暑が続く異常気象、地底猫は暑いと地面に潜る習性があるのでわれ先にと潜る。しかし地中で息絶え、地下でどんどんと腐敗していく。地元住民は地中猫の異変に気付かず、数日が過ぎた。

ヌメェラッゾゴンヌプスが餌の時間になっても管から顔を見せないと、五里山さんはおおさわぎ。助け合いの精神でご近所さんは捜索を手伝いました。その結果、みんな死にました。

地中に溜まった地底猫の死体はちょうど五里山さんの家の真下にあったようで、ヌメェラッゾコンヌプススの巣にガスが充満、マッチを擦った馬鹿のせいで大爆発。キノコ雲。それでも地元住民のめざましい努力により半日でもとどおり。管と家は未来技術による超硬度でビクともしませんでしたよ。

この事故で息子を失った市議は原因を究明すべく職権乱用、莫大な予算を使い研究チームを結成したが、保健所が三十分で原因を明らかにし、お金を研究チームに持ち逃げされバッシング、のちに暗殺された。群衆の中からタラバガニの殻を削った短剣を持った男が突進してきて暗殺された。カニ男はスタッフが責任を持っておいしくいただいた。イコール死。はっきり言います。彼は死にました。県が密かに開発した触手地獄にぶち込まれて死んだ。死んだのだ。人間の命とは儚いもので、触手にもてあそばれただけで消えるのだ。触手はじゃれついているだけなのだ、触手に罪はない。罪があるのはバッカモーン、そいつがミドリガメ亀雄だ!全人類。おや、なんだ今の雑念は。

新たに市長になった熊本バッカルコーンバッカ市長は市長としてとても優秀な市長だったのでヌメェラヌヌヌヌヌヌヌソンナカンジノ市長の巣に使われていた管市長を再利用市長、ガス抜き装置に市長使っ市長。

突然だけど、君は神様を信じるかい?僕は市長が神なんじゃないかって思うなぁ、だってこんなにおいしい丸薬をくれるんだ、この丸薬はね、飲み込むと多幸感に包まれて市長のことしか考えられなくなるんだ!スバラシイだろう?君もひっこしておいでよ、市民はタダでもらえるんだぜ。え?なに?ああ、管の話の続き?はいはい。

今じゃあすっかりガスも抜け、地底猫は市長が素手で皆殺しにして触手地獄に送りこみ万事解決。管は町中に残ったけど、この丸薬が地下にある市長室から直に送られてくるってわけさ。この写真は丸薬フリースポットのひとつを写したもので、丸薬に市民以外が触れると拒絶反応で腸内細菌がビッグバン、木っ端みじんだから気をつけろよって説明の写真だ。君もおいでよK市。

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突然ですがここで問題です。これなーんだ。

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正解はしいたけでした~!ふにゃふにゃ~!

次回もお楽しみに!

憂野

たぶん人間。

文具語り

第7回

秋月千津子

皆様、明けましておめでとうございます。新年一発目の文具語りでございます。

新年ということで、ちょっと文体を変えてやっていこうと思います。今年もどうぞよろしくお付き合い下さいませ。

先月の文具語りでは「文房具の福袋」について語ってみましたが、皆様無事ゲットできましたか? 私は一番狙っていた無印良品の福袋は逃してしまったのですが、地元の書店でグリーティングカードの会社ホールマークさん(https://www.hallmark.jp/)の福袋を手に入れることができました。

A6判のミニノート3冊セット、メモ帳、グリーティングカード5種、レターパッド&封筒セット2種、ふせん2種……これだけ入って1000円だったのでとてもお買い得ですね。ふせんは「うらアリふせん」という、表裏両面に絵が付いた珍しいもので、こんな商品も世に出ていたのか! という驚きもあって嬉しかったです。

さて今月は、少し早いですが、年度末を見据えて、別れの季節のマストアイテム「色紙」について語ろうと思います。「いろがみ」ではありませんよ、「しきし」です。サインもらったりするあれですね。

私が学生の頃というのは、色紙というと白い真四角のものしかほぼ売っていませんでした。色紙の真ん中に相手のお名前などを書いて、その周りにメッセージを寄せ書きする……今でも非常にメジャーな色紙のスタイルですね。

でも、このスタイルだと、

・たくさんの人で寄せ書きする場合、回すのが大変

・寄せ書きのバランスが悪くなり、見た目がいまいちになってしまうことがある

・絵がないと、なんとなく寂しくなりがち

などの問題もあると思うのです。

そこで、おすすめは台紙&シールスタイルの色紙です。書いてもらう人それぞれにシールを渡しておき、後で回収して台紙に貼るのです。これならばバランス良く綺麗に貼ることができますから、見た目も良く仕上がります。また、メッセージが少なくても華やかな印象になるので、書く人が少ない少人数の職場や部活の寄せ書きにも良いと思います。

シール部分だけでも売られていますので、台紙とシールの組み合わせ方を工夫したり、大人数の職場や学校の寄せ書きでは、二つ折りや三つ折りの色紙に貼り付けたりとアレンジすると良いかもしれません。このシール式、今ではかなりメジャーになっているようで、100円ショップなどでもたまに見かけるようになりました。100均と言えども可愛いデザインのものが多かったので、お安く済ませたい方や、まずはどんなものか試しに……という方は是非覗いてみてください。

また、こちらは主に少人数で渡す場合なのですが、色紙の代わりに花束をイメージした、ブーケ風のメッセージカードを渡すというのも素敵かもしれません。

http://item.rakuten.co.jp/bunguya/gli03/

お花の形をしたメッセージカードにそれぞれ書き込んでもらい、集めたらリボンで束ねて花束のようにして渡す、というカードです。オシャレですし、珍しいタイプのグリーティングカードなので、もらった方も印象に残るかもしれませんね。

色紙について書くならば、当然ペンについても語らない訳にはいきません。色紙に書くのに適したペンとはどんなペンでしょうか?

ここで大事なのは使われているインクの種類です。ペンには「染料インク」を使ったものと「顔料インク」を使ったものがあるのですが、顔料の方が耐水性・耐光性が高く、長く保存しておきたいものには適していると言われています。

もっとわかりやすく詳しい解説が、私の愛する三菱鉛筆さんのHPに載っていたので、興味のある方は読んでみて下さい。

http://www.mpuni.co.jp/customer/ans_33.html

具体的な商品名を挙げるならば、三菱鉛筆の「プロッキー」や、ゼブラの「紙用マッキー」あたりを使うと、色あせずに長持ちすると思います。

http://www.mpuni.co.jp/products/felt_tip_pens/water_based/sign_pen/prockey.html

http://www.zebra.co.jp/pro/paper-mackee/

お別れの季節がやってくるのが本当に寂しいこともあると思いますが、素敵な台紙と長持ちするペンで、気持ちよく送り出してあげましょう!

秋月千津子

個人サークル「深海の記憶」で活動中のインディーズ小説家。

Twitter:@akizuki_chizuko

音楽とラジオと音

第3回「jazzgame」

yoshiharu takui

きょう、ぼくは新しいラジオを手に入れた。25を超えたサラリーマンの身には、ハイファイラジオの物品税はまだ高い。それで高周波キットや真空管を買ってコツコツと作っていたものが、やっと完成したのだ。

そのラジオを点けてみる。1130キロサイクルの文化放送に合わせたら、番組がはじまった。

「ラジオをお聞きのみなさん、また会場のみなさんこんばんは。ご機嫌いかがですか、司会のロイ・ジェームスです。洋酒の壽屋がこれからのひととき皆様にお送りする、ジャズとクイズのトリスジャズゲーム。今宵も東京有楽町ヴィデオホールに満員のお客様をお迎えしての公開放送でございます」

「それではバンドメンバーをご紹介しましょう、ドラム・ジョージ川口!ベース・上田剛!ピアノ・中村八大!テナーサックス・松本英彦!」

ジョージ川口とビッグフォーの演奏が聴こえてくる。今まで使っていたラジオでも聞いていた番組なのに、格段にハイファイじゃないか!

ドラムの低い音がよく聴こえてくるし、サックスもピアノもホールそのままのきれいな音色だ。

会場の人々からのリクエストでビッグフォーが一曲演奏してから、江利チエミが出てきた。彼女もずっとジャズを歌っていて、名前を耳にしない日はないくらいだ。

「シャンハイ」という珍しい曲のあと、会場の人々にリクエストを問いかける。「ハイ!ハイ!」という挙手の多いことは、まるで小学校の教室を見ているようだった。

チエミはそのリクエストに応えて「テネシーワルツ」を歌っていた。3年ほど前、この曲で江利チエミを知ったのだけれど、その頃のレコードよりずっと堂々としていながら艶もある。本当に上手かった。

しかもチエミの歌だけでなく、リクエストに応えてその場で弾くビッグフォーの演奏力が恐ろしく高いのだ。あまりにも驚いた。

江利チエミが去った後、ビッグフォーの生演奏で「枯葉-ラ・メール-ラヴィアンローズ」。このシャンソンの数珠繋ぎが美しい。

聴いているうちに、夢心地の25分はすぐに過ぎた。

「全国の皆様、また会場の皆様と一緒に溶け合って楽しく過ごしてまいりました、洋酒の壽屋提供トリスジャズゲーム、今宵はこの辺で皆様とお別れでございます。演奏メンバーは、ドラムジョージ川口、ベース上田剛、ピアノ中村八大、テナーサックス松本英彦、今夜のゲストは江利チエミ、司会ロイ・ジェームスでした。ではみなさん、また来週をお楽しみに、ご機嫌よう!さようなら」

ラジオからこの声が聴こえ、そっけなく番組が終わった。けれども、ホールでの生演奏を家で、ぼくが自分で作った新しいラジオで聴けたことの喜びはいつまでも残る。

また来週も再来週も、この番組を聴きたいと思う。

【言葉の解説】

・物品税

以前は高額品・贅沢品に物品税がかかっていた。特にラジオや、1950年代当時の言葉で「電蓄」といわれたオーディオシステムの物品税は高価だったが

部品を集めて自分で作ることで、税金をかけずに性能の高いオーディオシステムを持つこともできた。

・キロサイクル

現在のキロヘルツ(kHz)と同じ意味で使われた周波数の単位。

・『トリスジャズゲーム』

1950年代半ば、文化放送で放送されていたラジオ番組で、洋酒の壽屋(現在のサントリー)がスポンサーの公開放送。

観客からのリクエストに「ジョージ川口とビッグ・フォー」が即興演奏で応えていく。

江利チエミをゲストに迎えて、1955年4月14日に放送されたこの番組は、横浜市放送ライブラリーで聴くことができる。

作家が入院中の老人のお見舞いに行った

Pさん

重要な言葉と重要ではない言葉。全てが重要な言葉なのではない。ある老人に会いに行った作家の話。その人は入院中で作家はお見舞いに行った。道路に面した土地。鏡だらけの部屋。カーテンは閉まり床にカラフルなビーンズが散らばっている。夜間迷惑行為が見られる。その家の向かいの病院に入院している老人に作家がお見舞いに来て

「こんにちは。お久しぶりです」

と言ったのかどうか定かではない。

老人は体力的には割と消耗していたにもかかわらず元気だった。作家がそう言っている。作家が老人に話しかける。老人も口を動かしたまま話に応える。他人同士であればそもそも暗い空気が流れようもないので二人で明るく話していたのであろう、それに関してはそれ以外のパターンが考えられない。医者が建物の中に一人はいる施設。すくなくとも日中はそうだろう。日中は? いつお見舞いに訪室したのだろう。作家は明らかにしていないから想像する。想像は自由でありかなりの権利だ。そう言っている。明るいところばかり想像して暗いところは想像しない。人間は感覚と記憶と経験を持っていて感覚を記憶し経験として蓄積する技術を持つ生物は人間のほかにはいない。暗い人間は想像しないわけではない。病室の採光について考えた人間がどこかにいる。

ひととおり作家が話したあとで、ふと

「次に会えるだろうか」

と、思ってしまった。ふとした思いつきが作家の周りに急にヒラヒラしはじめて作家はそう思ってしまったことを後悔した。老人は意に介さず、そもそも

「次に会えるだろうか」

と思ってしまったことを作家は口にしていなかった。口を動かすときの言葉ではなかったということだ。作家が

「次に会えるだろうか」

と思ってしまった瞬間を想像する。想像は自由であり権利である、ナントカは自由であり権利である、という言葉をどんなものにも当てはめることが出来る。重要ではない言葉で身体の回りをヒラヒラさせている人間は人間の明るいところばかり想像して暗いところを想像しようとしない。一人称と二人称の間に区別を設けない。第三者保証機関が存在するだけだ。とする。

存在は第三者に保証される。

会話の間に自省が混ざるととたんに直線的には進まなくなりそういう会話を想像することはなかなか難しいのに想像する。日差しがカーテンを完全に閉め切った鏡だらけの部屋にスッて差し込んだ瞬間みたいに兆す自省。止まるのでも加速するのでもなく複雑な磁界みたいに擾乱する。

そんな自省の生まれる瞬間だけが会話だと作家は言いたかったのだろうか。

作家がお見舞いに行った老人の名前は北杜夫といった。