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崩れる通信

「崩れる本棚」創作コンテンツ用のブログです。

崩れる通信 No.27

崩れる通信です。

今回で、27回目の更新となります。

よろしくお願いします。

1.小五郎『白い教室 ~落第生のはらわた~』第7回

2.そにっくなーす『デロンギナースの死(ぬほどおいしい珈琲の話)』

3.Pさん『小品』

Pさんの小説の断片は、日記の文章の使いまわしで新作ではありません。

あしからず。

いい夜をお過ごしください。

それでは、また次回。パフォー。

白い教室 ~落第生のはらわた~

第7回

小五郎

2月は、1998年が舞台の小説を執筆していた運びで、アマゾンにおいて世紀末界隈の本やCDを買い揃えていた。

また、中国の友人が帰国する正月に彼と彼の奥さんに会おうと去年から約束していたのだけども、あちらとしての正月は2月8日の春節、つまり旧正月のことだったというすれ違いがあり、大いに異文化コミュニケーションを楽しめはしたが、何時ぞやにも吐露した通り、どうもわたくしの気分が優れずに、およそ1年振りの2月7日の再会を取りやめ、兄に身重の妻を連れた彼の実家の岐阜まで1人で行ってもらった。

さて、どうでもいい近況報告は、このくらいにして、早速本題に入ろう。

今回取り上げる偉人のためになる金言は、ドイツ編2回目にして早くもドイツ出身を離れ、現在のチェコ、当時のボヘミア王国に生まれた、ドイツ語圏ユダヤ人作家である、みなさんお馴染みのフランツ・カフカ(1883ー1924)の言葉だ。

前回は政治哲学者のハンナ・アレントというカフカユダヤ系なる共通点はありはするが、底抜けのお馬鹿さん加減が甚だしい奇妙な小説を没する40才まで書き続けた現代マイナー作家の元祖的存在なカフカと比べるとやはりお堅すぎた。

して、その珠玉の言葉とは、彼のギムナジウム時代の同級生だったオスカー・ポラック宛ての書簡(プラハ、一九〇二年八月二十四日(日)またはそれ以前)の

夢中になって書くな、書きながら身体を揺らすな

(『カフカ』川島隆訳・集英社文庫ヘリテージシリーズ P667)

である。

わたくしは、これを読んで、プロ野球選手がよく言う、「気持ちは熱く、頭は冷静に」(うろ覚え)という言葉をすぐに想起した。

メジャーリーグのロゴを見ても頭の背景は冷静の青で、バットの背景は熱い赤だった。

さらに脱線の連想を許すなら、町田康主演のピンク映画『赤い犯行 夢の後始末』(1997/サトウトシキ監督)における、「情熱はカメラの後ろにある」(うろ覚え)という台詞だ。

ところで、カフカが件の手紙を書いたのは19才前後だ。

19才は一般的にはまだまだ未熟だが、カフカにおいては違う。

恐縮ながら、私事を申せば、19才のわたくしは、50枚の小説を書き、いまはなき中央公論新人賞に応募して、あえなく落選している。

さて、天才カフカに戻ると、若死にの作家はおしなべ早熟なのかもしれないが、なにせ21才で快作『ある戦いの記録』をものしているぐらいなのだから、19才でもその片鱗は伺えてあたりまえだろう。

これは元エルレガーデンの細美武士も愛読していたそうだ。

ゆえに19才のカフカ少年が到達した創作態度である言葉は全国の芸術家見習いが抱える悩みの正鵠を射るものといってよさそうだ。

そして、毎回の手法をここでも踏襲するのなら、どんどん逸脱させていく用意はしてある。まずは、2016年2月21日付の『朝日新聞 グローブ』のこんな記事から。

”過去にしがみついたり、未来を憂えて現在をおろそかにしていないか。幸せとは、今に集中して最善を尽くす時に得られるもの”

(「ベストセラーズ・イン・ソウル」ソウルの書店から 『法輪和尚の幸せ』ポムリュン著・戸田郁子訳)

これをカフカの金言と対比させるとどうだろう。

先回までなら脱線を助長させる引用をしっぱなしで、文脈についてほとんどといっていいほど考察してこなかった面が少なからず、いや多々あったので、今回は、ちょっとばかり掘り下げて演繹してみたい。

つまりは、カフカにとって「書く」とはなにか、ということ。

常識としては「書く」は現在の行為だ。

しかしカフカは「夢中になって書くな」と戒める。

つまり、「現在」に夢中になるな、といっている。

「現在」を前掲のポムリュン和尚の言葉通りに解釈するなら、カフカの「現在」は「今に集中して最善を尽くす」な、といっているわけだ。

ではいったいカフカはどう「書く」のか?

ジル・ドゥルーズは、時間において、過去と未来だけがあり、現在は存在しない、とどこかで述べていたと思う。

カフカの「現在=書く」とはそんなドゥルーズ的時間なのではないか。

カフカの言葉の後述にある「身体を揺らすな」も今現在の身体性を捨てろ、と言っているのだ。

「今」を捨て、過去と未来に繋がり、「書く」。

それはイデア的客観視とは、また違った、純粋経験の世界だ。  

では、最後の脱線引用をして終わろう。

”物ヲ離レテ心ナク心ヲ離レテ物ナシ”

(『朝日新聞朝刊』2016年2月26日付)

夏目漱石『門』(第九十九回)解説より

小五郎

今年13年目のメルキド出版の眼鏡の弟

twitter:@ngz55

blog:小五郎の日記

デロンギナースの死

(ぬほどおいしい珈琲の話)

そにっくなーす

その女はいつも口を開くと珈琲くさい話ばかりするので、デロンギナースと呼ばれていた。

その実、重度のカフェイン中毒であり、いつも自分の手製ドリップセットととっておきの豆を持ち歩いていた。職場でももちろん珈琲をガブガブ飲む。仕事が早いので、ひとつ仕事を済ませると一本煙草を吸う喫煙者みたいに、ひとつ仕事を済ませると一杯のエスプレッソを啜った。お昼休みになると、職場の狭いキッチンにドリップセットをどっさり置いて、患者に薬を飲ませる時に使う小さなコップに挽きたての珈琲をそそぎ、出勤しているスタッフに振舞っていた。

デロンギナースは自分が珈琲を好きなだけでなく人にも気前よく振舞う人だったので、珈琲くさいということについてはまあとやかく言われていたものの、結構みんなから好かれていた。

患者たちからもデロンギナースと呼ばれており、医師や薬剤師、臨床心理士、栄養士、病棟チャプレン、デイケアスタッフ、OTスタッフ、リハビリ師たちも、珈琲が飲みたくなると彼女のところへ行った。とんでもなくイライラしたり、ちょっと時間があいてブレイクしたりしたいとき、アロマオイルを選ぶみたいにムードに合った珈琲を淹れてくれるデロンギナースは重宝されていた。ただ珈琲くさいとしょっちゅうからかわれていたが。

デロンギナースは食事も好きだった。栄養について高い関心を持っており、病状で食事をとることを拒否する患者への対応はもっとも優れているとされた。他のスタッフがどんなに熱心に介助しても食べなかった人が、デロンギナースがちょちょっと会話してスプーンを口に運ぶだけで、あっという間に全量摂取するなんてこともままあった。

デロンギナースはマーゲンが好きだった。マーゲンというのは胃につながるチューブのことで、口から食事が取れない人は胃に直接チューブを入れることで栄養摂取してもらうのだ。ピンク色やオレンジ色の栄養点滴も好きだった。点滴を混合する台の上をいつもアルコールで綺麗に保ち、栄養点滴をサクサク混合し、色合いを見てうっとりしていた。(栄養点滴は栄養たっぷりのあまりバイキンが集まりやすいので、調合したらすぐに滴下を始めなければならない。置いておくとバイキンが入り繁殖しやすくなる。だからうっとりとはいえそんなにゆっくりは見ていられない)

デロンギナースが点滴の更新に入ると、患者はうんざりした顔でナースの顔と手元を順番に見た。

点滴なんかやりたくない。好きで生き延びてるんじゃない。食べたくもないって言ってんだからほっといてくれればいいじゃない。針の刺さってるとこは違和感があってむずむずして、普通に手を動かすのがこわいし、3日にいっぺんは針をブリブリ抜かれて刺し直されるからあちこちあざだらけだ。漏れたらぶくぶくだし、動きたくないのにすごい頻度で尿意が襲う。好きで生き延びてるんじゃない。好きで食べないわけでもない。あちこちで、私が食べる姿を笑う人がいる。監視している人がいる。

ーおまえが食べはじめたりなんかしたら、じーっと見ててやるぞ。おとこまさりながっつき方したら笑ってやる。

患者の頭の中では食事を監視し何をしても責めてかかってくる奇妙な声が響いていた。それは本物の、耳を震わせ聞こえてくる音声と区別がつかないほど良質な生音で響くので怖くてどうしてもこの声に逆らえなかった。食べられなくなった患者は28kgしかなかった。しかも入院してから一度も言葉を発していなかった。

食べたら地獄、食べなくても地獄、点滴は大嫌い。でも言葉でそれを発することがなぜかできない。デロンギナースが退室したのち、患者は思い切った行動に出た。

寝たきりだったり重症だったりする人に優先的に目が届くよう、重症患者の部屋はナースステーションのすぐ近くに位置する。デロンギナースが一仕事終え、コーヒーとしけこむかぁ、とコーヒーかんかん(犬のご馳走缶詰のこと、かんかんごはんって言いません?かんかんごはんだよって言うと犬たちは目の色を変えて尻尾を振り回しますよね)に手を伸ばすと、かんかんを開けてもいないのに、コーヒーの匂いがただよっていることに気づいた。このキツめの芳醇な香り、キリマンジャロAAか…?コーヒーメーカーなんてない重症部屋からにおってくる。重症患者たちはコーヒーを楽しむ余裕なんかないはず。デロンギナースは不審に思った。かんかんを放置して、病室にむかった。

キリマンジャロAAかと思った香りは血液のにおいだった。血液は大量になると鉄分の香りを超えコーヒーのような芳醇な香りを漂わせる。さきほどの食べない患者の部屋のベッドと床は血液の海だった。

青ざめて、しかし幾分か勝ち誇ったような顔をして患者はこちらを見た。患者が点滴を自分で抜いたのだ。しかも腕には点滴ルートの針と短いチューブが少し残っており、血管に直接繋がっているチューブからどぼどぼと血液が逆流してきていた。

デロンギナースはディスポーザブル手袋をはめて患者の腕から針を抜き、アルコール綿で刺入部を塞いでテープで止めた。血液汚染したチューブと器具、シーツを袋に詰め、血液の床を拭く。終始沈黙していた。自傷や自抜の行為を発見した場合、医療者は驚いたり怒ったり悲しんだりしているところを見せてはならない。デロンギナースは片付けを終え手洗いを済ませてから、また抜かれるかもしれない点滴ルートを無言で挿し入れた。患者も無言だった。ルートがなんとか入り、デロンギナースは声をかけた。

『あなたの生命に危険があり』

ルート固定用テープを貼る手は止めない。

『あなたが入院している以上は』

摘下は万全で、少し患者の目につかない場所を選んでルートを固定する。

『私たちはあなたが嫌がったとしても、生きるための手助けをやめられません』

さっと布団を直して、デロンギナースは退室した。

ナースステーションに戻り、手洗いを済ませる。コーヒーを飲む気持ちになんとなくなれなかった。血液のにおいとコーヒーのにおいが似ていると思ったのは初めてだった。コーヒーが好きだから、コーヒーを嗅ぎつけて、たまたま自己抜去を発見できたのだし、もし発見が遅れて出血量がもっと甚大になったら、ショック死の可能性だってある。コーヒーが好きであること、血液を嗅ぎつけられたことに、なんにも心を暗くする必要はないのだが、キリマンジャロAAかな?などと言っていた自分が恥ずかしく思った。

翌日も、自己抜去患者は食事を摂れず点滴の指示が続いていた。デロンギナースは点滴の滴下を合わせにその患者の部屋にそっと入った。患者はねむっていた。幻聴に悩まされずに済む唯一の時間である睡眠のひとときを、デロンギナースは邪魔したくなかった。滴下は患者の体動で少しだけずれていて、遅れていたためクレンメを弄って調整する。

滴下を合わせるとき、いつもの癖で葉加瀬太郎さながらに指をふるってカウントした。人差し指をたて、時計の秒針とボトルを見比べながら、4拍子をとる。のりにのってきてしまい、囁き声の鼻歌がつい出る。情熱大陸。滴下がきっちり整ったところでふとわれにかえると、患者がこちらを不思議そうに見ている。

情熱大陸……?』

患者ははじめてことばを発した。デロンギナースは思わず顔をほころばせた。

『そうだよ』

患者にとって、何もしなくても外へ外へと流れ出してしまう思考と自我を守るために閉じこもっていた殻が割れた瞬間だった。幻聴はまだ怖い言葉で語りかけてくるが、看護師が情熱大陸を歌いながら点滴をセットするという想定外の光景に新鮮な驚きが勝ったのかもしれない。一瞬、患者は自分の世界を開いた。

『はじめてしゃべったね』

デロンギナースは笑った。息がめちゃくちゃコーヒーくさい。歯もコーヒーで汚い。しかし患者はその笑顔を見て、デロンギナースの白衣の中の人間ぽさを感じた。

『コーヒーくさいよ』

患者は思ったままを発し、デロンギナースはまだ笑いながら『うるせえ。コーヒーはいいぞ。コーヒー飲め』と言った。

   おわり

酔っ払いバタフライ

そにっくなーす率いる「酔っ払いバタフライ」2014年5月の文学フリマ東京から活動開始。看護師のほかに、バンドマンやら料理のうまいハリネズミやら乙女男子やらセンスいいたぬきやら天才デザイナーやらが属している。本は下北沢クラリスブックスにて委託販売中。

twitter:@sweetsonicNs

小品

Pさん

アイスコーヒーのグラスの中の大きめの氷が全く溶けきる頃にはすべての話が終わった。四角く透明で、中に気泡を作らないために常に空気を通していたのであろう窪みが、六面体の一つの面に開いている形の氷だ。ちょうどサイコロの「1」の目と同じ具合になっている。他の面に「6」や「8」が刻まれているという意味ではない。何度もストローでクルクル回されて、そのことは溶ける速度に有意な影響を及ぼさなかったのだからクルクル回す手が動かなかったと仮定しても時間は同じだ。それより室温に依存するのであろう。相手の表情は思いのほか硬かった。アイスコーヒーのグラスの中の氷は溶けないように努力するほどの知恵や何かに抵抗する気概というものを持ち合わせていなかった、ので、確かに予測されるとおりに溶けていったものと思っていただければ必要十分であろう。相手が書類をバサバサしたときにグラスの外側の水滴が書類に付いてしまったことに気づいた人間はそこにはいなかった。

学生がテーブルの隙間を埋めるように参考書とプリントとノートと電子書籍と電子辞書とスマートフォンスマートフォンの充電器を置いているのが上空からありありと見えた。緑色のペンと赤い下敷きで暗記するタイプのやり方を全部において実行していて、参考書のほぼすべてのページに緑色のマーキングがしてあって、現在覚えようとしているページに赤い下敷きが挟んである。電子書籍には「NARUTO」のクライマックスが表示されていてそれを今、めくろうとして失敗しているのが上空から覗かれる。手の汗で誤認識したのだ。NARUTOは大変なことになっている。ニュースアプリのアラートがスマートフォンを揺らして隣のテーブルの人が何かの通知が来たと勘違いして素早く自分のフォンの電源ボタンを押す。外で植え込みが風に揺れる。膝くらいの高さの植え込みなので小刻みに揺れる。反対側のテーブルを拭く店員の目がうつろだ、上空遙か高い位置から何とかそれが見える。手鏡を利用すれば、実際に目視できることだろう。「NARUTO」が最大限の盛り上がりのコマを抜けた。脳内物質が張り裂けんばかりに放出されているのが見える。

犬の目線になるには犬の高さに目を持ってくるだけでは足りない。犬にとっては地面は匂いの地図として膨大な情報を持っている。目に映る映像の情報はその補助くらいの役割しかしていない。犬の高さに目を持ってくる人間はなので卑屈な人間以上の何者でもない。犬は想像の中で数メートルの人間として直立して匂いの地図を総覧している。駆け回る。誰かの足として走る、そのスピードは卑屈や隷属とはほど遠いクリアな実感をこちらに与えるだろう。伸縮自在のテグスをゆるめ、ロックして、引っ張ることなど自分という誰かの足として走り回る犬に対して、なので、何の効力も持たない。犬に見下ろされている。膝を曲げて、手を紳士的に折り曲げ、屈むことでようやく犬との会話が始まるというのに、我々は見上げることすらしないだろう。

ソ氏がなぜか黒いものを好むことに関する報告。

ソ氏が最新版の電化製品を買う瞬間をカメラに収めたのが該写真なのだが、またしても「シルバー」「赤」「グリーン」「黒」の中で「黒」を選んでいることが、確認してもらえるだろう。向かいの店員がことさらそれを推したという可能性は否定的だ、その証拠に、該店員はソ氏に持たされた黒い小型の電化製品を持っているのとは反対の手で、どうもピンクっぽい「赤」の電化製品を持っている。つまり、一瞬前にはそっちを持っていたところで、ソ氏に促されて「黒」を持たされたということになる。これが購入の直前を捉えた写真であることは、ソ氏が勘違いをしてその場で財布を出し、紙幣をそこから抜き出そうとしているところから察せられる。全体としては、天井から吊された、売場電化製品の種別を告げる看板や、「お悩みのあなたへ」という発泡スチロールで作られた立て看板、値段に何重にも線が引いてある眩まし値札などが隙間という隙間を埋め尽くしている、情報を抽出しづらい写真であるのだが、我々はそこからソ氏を救い出すかのように見つけだし、該情報として再現して見せたというわけだ。

証拠はこれだけではない。次の写真から、ソ氏が決定的に黒いものをなぜか選んでしまうという確信が、見る者に自然とわき上がってくる力の源泉とでもいったものを確認してもらえることと思う。