崩れる通信

「崩れる本棚」創作コンテンツ用のブログです。

崩れる通信 No.16

皆様、文学フリマ、お疲れ様でした。

おつぁれっしたー!

私ども「崩れる本棚」は、さまざまなサークル様にご協力頂く形で頒布させて頂いた、「パラレル本棚」、その他親しくしてもらっているサークル様にご助力を頂く形で、つつがなく予定通りの配布を終えることが出来ました。

この場を借りて、お礼を申し上げます。

そして、何人かサークルの人と懇談した際、「ああ、より良いものを書かねば」「パフォーマンスとしての書き物を上達させねば」と、当通信の編者は決意を改たにするのでありました。

さて、崩れる通信が、予定時刻を大幅に過ぎつつ、今週の通信を開始いたします。

通信速度は、あなたの視神経の分解能です。

一作目、にして連載枠では初登場、第一号の衝撃的小説「みんなの共食い」の作者、憂野氏による「ホニャホニャプー」シリーズ。

道を歩いていると、たまに何だかよくわからないものを見つけることがある。ねじけた金属片。何に使うのかわからない取手。あきらかに生息地の違う動植物の死骸。

それら「ホニャホニャプー」を媒介として、作者は想像をふくらませ、フィクションを構成しようという試みである。

第1弾、「ホニャホニャプーの穴」。

二作目、秋月千津子氏「文具語り」第5回。

汲めども尽きぬ、手帳の魅力。今回は、手帳を便利に使いこなす、いろんな道具の話です。

三作目、あ、そういえば、都合により、高橋己詩氏の「映画を読むあれ」、徳永美沙氏の「フランティックアレルヤ」は、休載となります。

楽しみにしていた方には、申し訳ありません。

代わりにPさんがなんとも言えない夢日記を載せています。

それと散歩の話。

お楽しみに。

ホニャホニャプーの穴

第1回

憂野

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水色のスモックを着た園児たちが次々と穴に投げ込まれていく。穴はアリスが落ちた穴よりなお深く、底が見えない。園児たちは落下しながら恐怖する、今はまだ見えない底に叩きつけられ、人間でなくなることを。物理法則に従い落下速度はどんどん加速していく。            園児たちの意識は薄れていき、しだいにこの穴に底がないことを悟っていく。

この穴に落とされる園児はたいてい、クロロホルムなどの薬物で眠らされてから拉致される。場所は、自宅だったり、園内だったり、さまざまだ。そのあと、「運び屋」によって黒いビニールケースに詰められ、出荷される。この穴、組織の中では「ダストシュート」と呼称される穴、は、全国各地の公的施設にあり、普段は駐輪場とか、遊具なんかの屋根に擬態している。なるべく高い位置に穴を設置するのは誤って落ちる人がいるからである。こういう人がいると純度が下がるので精製に支障が出る。足場より高いのも「ダストシューター」が穴に落ちないようにだ。園児たちは深夜、曖昧に固定された時刻、これは磁場が影響するというのが学者の定説のようだ、「集積場」に運び込まれる。「集積場」には現時点で、全国の行方不明児童の約二パーセントほどが集められている、といっても「集積場」も一か所でなく各地にあり、すべての合計だが。ここで園児たちには本格的な麻酔、チオペンタールを用いることが主、を投与する。そして「リベレイター」に肉体ではない部位を切開され、強力な「マグネット」を埋め込まれる。「マグネット」にはスイッチがあり、オンオフが可能だ。さて、これでやっと「ダストシュータ―」に園児たちが引き渡される。輸送車への積み込みは例によって「運び屋」の業務だが、俗称「ダストシュート」の場所は選ばれた人間しか知ることができない、それどころか、「運び屋」と「リベレイター」は業務の詳細も知らされない。そのため輸送は「ダストシュータ―」が行う。「ダストシュート」に到着するころには園児たちは目が覚めていて、軽くパニックだ。泣き叫ぶのがほとんど。そんな園児たちを「ダストシュータ―」はなだめることもなく「ダストシュート」する。

意識の薄れた園児は運が良ければ、ここでいう運とは冷静になれるかなどの個々能力も含有する意味である、明瞭でない視界に突起物を確認できる。梯子だ。助かる。園児たちは梯子を掴もうと躍起になる。多くの園児たちは梯子を掴めないが、体勢がちょうどよい園児たち、こいつらもまた運がいい、は掴める。あ、腕が!ああああああああああああああ!掴めた園児たちは高速移動する乗り物から電柱を触ろうとすると怪我をする原理で、腕が吹き飛ぶ。どうやら運は悪かったようだ。小さな腕は頭上を舞い、確かに落下しているが、園児たちから見るとそうは見えないだろう。血液の赤がふよふよ上昇。このあたりで意識は完全に途切れる。腕の有無に関係なく。ぶつり。

さて、意識が途切れたら危険だ。ほおっておくと死んでしまう。「リベレイター」は「マグネット」のスイッチをオンにする。アルミニウム箔の筒に強力な磁石を落とすと落下速度が減速するのと似たはたらきで、園児たちの落下速度は緩やかに変化していく。どん どん、ど ん ど ん、減 速  し   て    い     く     。   減    速   す        る          。

減速は肉体に及ばない。埋め込まれたのはあくまで肉体以外なのだから。物的質量を伴わない肉体以外の部分は、速度の差で肉体から分離する。肉体から分離された部分を仮に「超越肉」と名付けよう、そうなった園児たちは肉体の苦痛から解放され、意識が戻る。ここからどうしようか、ふよふよ漂いながら考える。そして、梯子との格闘が始まる。登るのだ。永遠に。肉体なき「超越肉」に死はない。

さて、「超越肉」に捨てられ、落下を続ける肉体はどうなるだろう。ずっと意識も薄く、目覚めはしない。やがて地球の核の中央、すべての園児たちが至る場所に辿り着く。そこで「塊」になる。収縮された幾多の肉体は球状に変形、合成。長い年月をかけ「塊」は意思を持つだろう。生きているのだから。なにもない。たかが数億の小さな生命のスクラップが意思を持ったところで、あるのは孤独だけだ。他はなにもない。そういった存在が、必要なのだ。孤独の極みが完成されたとき、「塊」は壊れてしまうかもしれない。それでも孤独な「塊」は必要とされることに応えるため、孤独を自ら求めていく。それが、「ダストシュート」された肉体の末路。

「超越肉」はどうだ、「塊」が意思を持ったときも、孤独を感じているときも、無感情に梯子を登りつづける。地面に這い出る目的はすでに忘れた。使命感ももう失った。ただ、意味もなく登る。それしかできないから、やっている。変遷がおこり、「超越肉」は人間ではない何か別の生物へと変化していく。幼児から老人、老人から、   、   に(言語化は不可能)。

それでも登り続ければ終わりが来る。まだ到達した「超越肉」はいないけれど。穴から地面に這いだしたそのとき、地上では時間が経過していないのだ。曖昧に固定されてしまったから。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる…………。

人類とは別の生物が地上に溢れる。かつて見た穴を発生源に。今とは違う空間で、時間で。現在もこの世界に存在しているのと同じ穴から。

それってとっても不思議じゃない?

憂野(うさの)

なんでもよく食べるが拾い食いはたまに、路上パスタだか焼きそばだか判然としない麺が食べかけであったが、今は午前4時なので熟していない。

twitter@@usagiyarou

文具語り

第5回

秋月千津子

前々回は「手帳の種類」、前回は「手帳のマンスリーページの使い方」について書いた。もう手帳の話は良いよ、と思っている人もいるかもしれないが、あと一回だけお付き合いいただきたい。

手帳は一年を共に過ごす相棒。市販の手帳をそのまま使うだけではもったいない! ということで、今回は「手帳と併せて使いたい便利な小物」を紹介していこうと思う。

●インデックスシール・しおり紐

手帳は、いつでもストレスなくパッと開けることが好ましい。

開きやすくカットが入っている手帳などもあるが、そうした工夫が施されていない手帳を使う際には月ごとにインデックスシールを貼っておくと便利だろう。

手帳コーナーのそばには大概、1~12月の数字が入った手帳用のインデックスシールが売られているし、100円ショップでもセリアやキャンドゥで見かけた。

http://www.midori-store.net/SHOP/4461/5320/list.html

http://ec.cando-web.co.jp/item/4542804027129

しおり紐は大概の手帳にはあらかじめ付いていると思うが、ない場合には自分で付けるのが良いだろう。

好みのリボンなどで作るのも良いだろうし、無印良品には簡単に取り付けられるしおり紐が売られている。

http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4548076539636

●ふせん

第1回の文具語りでも取り上げた暮らしの必需品「ふせん」は手帳に入れておくととても便利。

一押しはケースごと手帳に貼り付けられるタイプのポストイット

スリーエム製のフィルムタイプなので粘着力が高く丈夫だ。

http://www.mmm.co.jp/office/post_it/list43/pdf.html

文具コンサルタント考案の時間管理用ふせんは、視覚的に一日の流れを捉えるのに役立つ。

http://item.rakuten.co.jp/auc-cocoena/10001733/

無印良品のTodoリストふせんは、やることが多い人におすすめ。

http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4547315549399

●両面シール

楽しいお出かけの記録として入場券や切符を取っておきたい、写真を貼っておきたい……特にデイリータイプやレフトタイプなど空欄の大きな手帳を使っていると、そんなふうに思い出を残すために手帳を使う場面もあると思う。

すぐに貼ることができないと、後でと思ったまま忘れてしまったりするものだ。手帳に両面シールを入れておけば、残したいと思ったものをすぐ手帳に貼ることができて便利だ。

ほぼ日手帳トラベラーズノートの両面シールは元々手帳と一緒に使うために作られているので、邪魔にならず、使いやすい。

http://www.1101.com/store/techo/2016/detail_toolstoys/tt_o_doublesticker.html

http://www.midori-store.net/SHOP/14303006.html

●バンド付きペンケース

手帳には大概、ペンが一本させるようになっていると思うが、幅が狭くて多色ボールペンや太めのボールペンは入れることができない。そんな時はバンド付きのペンケースを表紙にセットすると良いだろう。

http://store.ito-ya.co.jp/item/49963855527901.html

高い!と思う人は、伊東屋さんのものには勿論質は劣るが、ダイソーでも似たようなバンド付きペンケースが売っていたので、探してみてほしい。

ペンケースにはペンが2本くらい入るようだが、ペン型ハサミやふせんを入れておくのも良いだろう。

http://www.sun-star-st.jp/private_brand/stickyle_scissors.html

http://www.kanmido.co.jp/products/pentone/lineup.html

手帳は自分の使いやすいようにどんどんカスタマイズしてこそ。便利なグッズと共に、来年が待ち遠しくなるような手帳を作り上げてほしい。

秋月千津子

個人サークル「深海の記憶」で活動中のインディーズ小説家。

Twitter:@akizuki_chizuko

【イベント参加予定】

10/10 第2回テキストレボリューションズ

11/23 文学フリマ東京

メロウ・どぅなつ

Pさん

早番の仕事からの帰り、額と後頭部がドロッとしたと眠気というより、自転車を漕いでいて、突然「カクッ、カクッ」と来る意識消失系の眠気が訪れたので、そんなに早く寝入るわけではないが、六時、いや七時に掛かるかという時間に、横になった。横になった瞬間、寝た。

目が覚めるとプレハブというか、見た目は確かに一軒家じみた、壁と二階分の窓と斜めになった屋根が書き割り的に存在する、しかし中身の実体を欠いた、というのは窓が一階分と二階分が存在するはずなのに二階床面・および・一階からすると天井に当たるものが、ほんの少し、回廊じみた板でも、せめてベニヤ板だけでもあれば助かったのだが、それもなく、全くの意味のない吹き抜けで、照明も、その見上げるような家屋の中の、屋根そのものである、縦横に合板の筋交いがむき出しの、ななめになった面に、裸電球が一つ吊り下がっているだけで、非常に薄暗いのだが、すでに外は昼のさわやかな青天を意味する、青い反射光で満たされていて変に明るい、なので裸電球は点いててフィラメントの細さがむしろ暗さを集めているかのようだった。

仕事の時間はとっくに過ぎている。寝過ごした。

ドアを開けて外に出ようと思ったら、職場の介護長が助言した。

「外は風が強いから」

地平線にあった雲が、次の瞬間に反対側の地平線まで流れている。台風をはるかにこえるレベルの強風が外を吹き荒れているのが、手に取るようにわかった。秒速数百メートルの風。風が吹く前に屋内に逃げ込めなかったものは、おそらく無事ではいないだろう。自転の速度が変わったという話だ。

そんな強風が日暮れまで続き、そして止んだ。

恐る恐る屋内から這い出す人々。とりあえずは隣人との紐帯を。外に繋がれている犬については、諦めるしかない。一時的とはいえ、少なくとも経済的基盤の大半は、失われたものと思われる。それを意識しながら、必要なことをみなで行うのだ。

職場へ向かうと、最低限その場に残されたものを使って、永える者は永えていた。当然、シフト制の厳然とした法則などぶち壊しになっていて、お咎めなし。よかった。

そこで目が覚めた。九時十分あたりだろうか。起きてからウェブ・マガジンの更新作業を行おうとしていたので、丁度良いといえば丁度良い。瞼の奥にある眠気とまだ闘いながら、数週間前に見た夢のことを思い出した。久しぶりにはっきりと見た夢だ。投稿数の少なくなった「ジン」の埋め草として単に書きなぐっても、バチは当るまい。

キーボードの横にある、飲み残しのグラスの縁に沿う形で、宙に浮いていたメロー・ドーナツを、運よしと言って、パクつきながらこれを書いている。

Pさんぽ

第18回

Pさん

小学校の頃に校庭の、サッカーボールを当てる為の的が同心円でいろんな色で塗られた緑色の壁の裏に、ミラクルフルーツが群生していて、全国津々浦々の地名を略しすぎと思われるくらいの略図でプリントに路線図のようにマッピングした「ランニング表」を埋める為にほぼ全員で走らされる奇妙な昼休みの時間帯にランニングを疲れから諦め脱落して残りの何十分かの暇を潰すために、同じく校庭の端の方に生えている桑の実を食むようにして、摘んでは食み摘んでは食みしていたという記憶は、恐らくのちに調べた情報から偽りの記憶であったと断定せざるを得ない。

その変な実を食んでいた記憶は、よっぽどのことがない限り実際の経験なのであるが、問題はそれがミラクルフルーツだったのかどうかだ。

ミラクルフルーツは真っ赤な実である。ミラクルフルーツの木の葉はぶ厚く、おそらく常緑広葉樹である。対して記憶にある校庭のサッカーボールの的となっていた緑色の壁の裏に生えていた、当時それと思い込んでいたミラクルフルーツはマンゴーのように薄い赤から緑のグラデーションであった。その生えている元の植物は、薮を構成するような細かい枝がワサワサしているものだった。

その実を剥いて食うのだが、小学生に衛生観念などあるはずもない、しかもそうまでして食ってうまいわけでもない、なんだか舌にザラザラ残る感じのするその実を「グミの木の実」つまりそれがグミだとして食っていたのだから侘しさを感じずにはいない。その舌に残るザラザラした感じと、その当時ちょうど欠かさず見ていた「所さんの目がテン!」において紹介されたミラクルフルーツとの二つが、頭の中で混ざってしまって、あの謎の植物が実はミラクルフルーツなのだということになったのだろう。(続く)